2009年、部員の不祥事で廃部となった近大ボクシング部が、OBの赤井英和さんを総監督に招き、活動を再開することが決まった。関西アマチュアボクシング連盟が10月25日の緊急理事会で来年度からのリーグ参加を承認。大学日本一に11度も輝いた名門の復活へ向け、赤井さんの手腕が大いに期待されている。

赤井さんは現在、俳優・タレントとして個性的な演技で幅広く活躍しているが、ボクサーとしてもブームを巻き起こした人気者だった。ライトウエルター級で高校チャンピオンになった後、近大に進学。学生時代にプロに転向、デビュー以来、12連続KO勝ちを記録し、“浪速のロッキー"として話題を集めた。念願の世界初挑戦は1983年7月7日、近大記念会館で実現した。果たして強打は本物なのか。ファン注視の試合でもあった。

タイトル奪取へ異常なほどに闘志を燃やしていた。「必ずKOで王座を奪う」と高らかに宣言し、開始ゴングとともに世界ボクシング評議会(WBC)スーパーライト級王者ブルース・カリー(米国)に果敢な攻撃を仕掛けた。しかし、中盤を過ぎるとスタミナを失い、7回TKO負け。キャンバスに崩れたシーンは勝負の厳しさを浮き彫りにした。引退もうわさされたが、力強くカムバックを決意。一からのスタートを切った。

そして、運命の日が訪れる。85年2月、大和田正春とグローブを交えたが、7回、痛烈なKO負け。そのまま意識を失って病院に直行、脳挫傷と診察され、開頭手術が行われた。一時は生命も危ぶまれたが、無事に回復。ボクサーとしては引退を余儀なくされたが、一社会人として再び元気に戻ってきた。

引退後、選んだ道が俳優だった。本人の自伝的映画でもある「どついたるねん」で主役を務め、迫真ある演技力が高い評価を得た。活躍の場をテレビにも求め、バラエティ番組に出演するなど芸達者ぶりを見せている。と同時にボクシングへの情熱も失っていなかった。世界タイトルマッチなどで何度も姿を見かけたことがある。さらに昨年、アマ復帰の適用第1号として日本アマチュアボクシング連盟から指導者資格を認められていた。

熱血の赤井さんが母校をどう立て直すのか。村田諒太の金メダル獲得で盛り上がるアマの世界に新鮮な風を吹き込んでほしい。(津江章二)