これが本当に「予選会」なのか。毎年、秋に東京都立川市に向かうたび、国営昭和記念公園の広場を覆い尽くす人の波に圧倒される。東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)予選会が10月20日に行われた。スタート地点は陸上自衛隊立川駐屯地内の滑走路。500人を超える学生ランナーが幅いっぱいになり、一斉に駆けだす姿は圧巻だ。各大学の応援団が太鼓を打ち、チアリーダーが跳ね踊る脇を、選手が真剣な表情で駆け抜ける。

応援の熱気もすごい。公式発表はないが、大会関係者によると2万人を超えるファンが会場周辺に詰め掛ける。レース終了直後、本大会出場校を関東学連のスタッフが読み上げ、会場では残酷なまでに明暗がくっきりと分かれる。本大会への出場権を獲得した大学は大歓声とともに胴上げが自然発生的に行われ、すぐ隣で予選敗退した学校の選手がひざまずいて涙する。学生だけでなく後援者や家族も一喜一憂し、さまざまな人間ドラマが交錯する瞬間だ。ことしは45校が出場。憧れの箱根路への道が開けるのはわずか9校で、36校が涙をのんだ。

出場がかなわない大学は予選会に出場することが、第一の目標となっている。5000メートルでは16分30秒、1万メートルで34分を切っている選手が10人以上いないと、予選会への出場は許されない。学習院大時代に予選会を走った市民ランナーの川内優輝(埼玉県庁)は「僕たちのような弱小校は予選会に出るのが目標だった。“箱根"というと10月の立川の予選会のことを指すんです。10人目の選手が34分を切れなかったときは気が気でなかったが、期限ぎりぎりで切ったときは本当にうれしかった。これで“箱根"に出られると思って。実際は立川を走るだけなのですが」と笑いながら振り返った。

予選会に最も熱を入れるのは大学の経営者という話もある。ある大学の関係者は「箱根に出場した年は入試の出願者が増えるんです。その傾向は関東よりも地方からの受験者に多い」と語った。全国的に知名度の高くない大学にとって、圧倒的なテレビ視聴率をたたき出す箱根駅伝は受験者数を増やすための広告戦略にうってつけだ。受験シーズンの直前の時期に大学名が何度もテレビ画面に大写しになり、宣伝効果はかなり大きいという。寒さの厳しい年始に、歯を食いしばりながらたすきをつなぐ姿は心をつかみ、大学の印象もアップするのだろう。

そこで、各大学の経営陣は選手強化に躍起になる。箱根駅伝の監督は好結果が数年出なければすぐに交代を言い渡され、陸上界で実績を残した新たな指導者が招かれる。経営手段として箱根駅伝が存在する昨今、十分な結果が出ないと欧州サッカーや米大リーグの監督と同様に首を切られてしまう。当初は大学駅伝の関東チャンピオンを決める地方大会だったが、スタートからゴールまで完全生中継するテレビ放送が大成功し、正月に欠かすことができない一大イベントとなった。

日本初の五輪代表の一人、金栗四三が箱根駅伝を創設したときの理念は、「世界に通じるマラソンランナーの育成」だった。ロンドン五輪男子マラソンに出場した3選手はすべて関東の大学に籍を置き、箱根駅伝を走った。大学時代は3人とも区間賞をとれず、スター選手でなかった点も興味深い。今大会で激烈な予選会を走った選手、本大会を走る選手のなかには将来の五輪代表もいるだろう。予選会で涙をのんだ選手を含め、自らの目標を追い求めて走り続けて欲しい。

三木 智隆(みき・ともたか)1978年生まれ。奈良県北葛城郡出身。スポーツ紙での7年間の勤務を経て2009年に共同通信へ。09年、10年とゴルフを担当し、現在は陸上を中心に取材。