あと一歩がこんなにも遠いとは。ことしの全国高校野球選手権大会は大阪桐蔭が史上7校目の春夏連覇を達成し、幕を閉じた。昨夏から3季連続で決勝に進んだ青森代表の光星学院はまたも頂点に届かず、史上初の3季連続準優勝。東北勢悲願の甲子園大会制覇は来年以降に持ち越しとなり、筆者が抱いていた「今度こそ歴史の扉が開く瞬間に立ち会えるのでは」という期待めいた予感は現実とはならなかった。

試合前。総合力で考えれば大阪桐蔭が有利でも、流れは光星学院だと感じていた。決勝は史上初の春夏同一カード。「三度目の正直」「雪辱」「初の白河の関越え」といったフレーズが多用されたように、光星学院側からすればドラマ性十分の展開だったからだ。東北の地に初の優勝旗が渡るには、これ以上ない筋書きのようにも思えたが、やはり甘くはなかった。春からさらに成長した大阪桐蔭のエース藤浪晋太郎がマウンドで仁王立ち。圧巻の投球の前に、光星学院自慢の強力打線もお手上げだった。仲井宗基監督が「力負け。完成度が違った」と話したように攻守両面で完敗といえる内容だった。

光星学院が決勝に進むたびに、取材したテーマが二つある。一つは「なぜ東北のチームは強くなったのか」。室内練習場の整備、交通網の発達、シニアチームの充実、関西や関東からの有力選手スカウト…。話を聞いた東北の高校野球関係者はハード面からソフト面までさまざまな要因を挙げてくれた。もう一つのテーマについては、誰に取材してもはっきりした答えは出てこない。「なぜ東北勢は決勝で勝てなかったのか」。今回は春夏通じて10度目の挑戦、2000年以降では実に6度目の決勝だった。時代も変わった。なのに…。ここまで来ると、なかなか合理的な説明は難しい。

そんな歴史を知っているからこそ、仲井監督は「東北の野球のレベルの高さを見せたい」「いつまでも白河の関と言われたくない」と口癖のように繰り返してきた。そして「そのためには勝たないとだめなんですよ」とも。今夏の挑戦は実らなかったが、1969年夏の決勝で引き分け再試合の末に敗れた三沢(青森)の当時のエース太田幸司氏は近年の東北勢の躍進について、こう話していた。「優勝はもう時間の問題ですよ」

昨年には未曾有の大震災が東北を襲った。最後の夏が終わり、声をかけられないほど号泣する被災地の多くの球児の姿が今も目に焼き付いている。みちのくに笑顔で大旗を持ち帰る球児。そんな光景を見られる日は、太田氏の言うようにきっと遠くはない。来春の選抜大会出場を目指して各地で秋季大会が今、たけなわとなっている。新チームの奮闘を見聞きするにつれ、ますますそんな思いに駆られている。

益吉数正(ますよし・かずまさ)1981年生まれ。宮崎県出身。2005年共同通信入社。千葉、甲府、福岡の支社局で警察などを担当して11年から大阪運動部へ。高校野球、ラグビーを中心に取材。