ロンドン五輪の取材から帰国してしばらくは、柔道の試合録画を観る気になれなかったが、先日やっとのことで再生してみた。

日本で唯一金メダルを獲った女子57キロ級の松本薫(フォーリーフジャパン)の躍動感ある試合にはほれぼれ。しかし、その他の日本人選手からは、会場で感じたよりもさらに覇気が感じられなくて驚いた。結果を知って観ているからかもしれないが、それにしても元気がない。

どうしてこんなことに…というショックとともに、全日本柔道連盟の強化態勢にふつふつ不満が沸いてくる。指導力不足もそうだが、そもそも地道に選手を育てている町道場など底辺への支援の欠如だって問題だ……。でも、こういう場合のダメ出しはきりがない。当然楽しくもないから生産性もなく、暗い気分を拡散するだけ。

そこで思う。日本柔道、もう一度がんばれ、と。

もう一度、というのは、かつて日本は1988年ソウル五輪で金メダル獲得数が95キロ超級の斉藤仁の1個に終わったことがあり(女子は公開競技で金メダルは1個)、今回のような敗北を経験しているからだ。まだ1個あったのだからいいじゃないと言うかもしれないが、当時の関係者の敗北感は、それはそれは大きかった。

しかしここから、当時全日本の監督だった上村春樹氏(現全日本柔道連盟会長)、ソウル後に全日本コーチに加わった山下泰裕氏(現東海大副学長)らが中心となり、「日本復活」を目指して立ち上がる。

その過程で採り入れたのは、当時まだ珍しかった専属の栄養士やトレーナー、心理学者をはじめ、世界中の試合を撮影してライバルを分析する科学研究部まで発足させたサポート態勢。これは今回のロンドン五輪での日本の好成績を支えたと言われる文部科学省主導のマルチサポート事業のルーツの一つともなっているが、まだ根性論がはびこっていた当時においては、かなり前衛的な発想だった。この多角的なサポート態勢によって日本は、永遠の課題である海外勢のパワーや変形組み手を攻略、世界で勝つための柔道をつくりあげていった。

このソウルからの復活物語は、2004年のアテネ五輪で男子3、女子5の計8個の金メダルを獲得し、日本柔道史上最高の結果を残したことに結実したと、多くの関係者が語ったことを思い出す。

とすると、日本の復活には実に16年の歳月がかかったこととなる。残念ながらいまの日本にはかつてのような先進性は感じられない。だから、すぐにとは言わない。でもきっと必ず、日本柔道がふたたび革新的な発想とともにどん底から這い上がる姿を見てみたい。(スポーツライター・佐藤温夏)