ロンドン五輪で熱戦が繰り広げられている柔道は、いまや200を超える国と地域が国際柔道連盟に加盟する、グローバルスポーツとして発展を続けている。それもこれも日本人柔道家が世界に散らばり、世界中から出稽古に訪れる人々を受け入れ、絶えず普及に努めてきたからだ。

ロンドン五輪男子60キロ級代表で、北京五輪銀メダリストのルドビィック・パイシャー(オーストリア)も日本で稽古を積んできた一人だ。

1981年世界選手権65キロ級優勝の柏崎克彦(国際武道大教授)さんを師と仰ぎ、中学生のころから1年に2回は必ず来日している。

「巴投げ、寝技、関節技……カシワザキセンセイには柔道の全部を教えてもらったよ」とパイシャーが言えば、「あいつの柔道はオレの柔道にどことなく似てるんだよね」と柏崎さん。ロンドン五輪では恩師直伝の寝技を生かせず2回戦敗退に終わったが、柏崎さんのもとへ晴れ晴れとした表情で結果を報告しに来ていた。柏崎さんは言う。

「あいつはきちんとしてるんだよ。ちゃんとお礼に来るんだよね。北京のあとは感謝の言葉を書いたカードと自分の試合をまとめたDVDを送ってきた。しかも、タイトルロールに『柏崎先生へ 感謝を込めて』って入れてね。うれしいよね、わざわざそんなことしてくれるなんて。でもね、あいつだけじゃなく、海外の選手は大きな試合が終わると礼状を送ってくるよ。みんな礼儀正しいんだよね」

こうした話を聞いていると、日本の心ある柔道家たちがしてきたことは、単なる技術の普及ではなく、世界の人々と友達になり、信頼関係を築いてきたことだったのだとわかる。柏崎さんとパイシャーのような関係は、ほかに数え切れないほどあるだろう。その一つ一つの友情からさらに新しい仲間は生まれ、それぞれが柔道の存在価値、特に教育的側面をそこかしこで広めていく。

柔道が1964年東京五輪で初めて行われて以来(1968年メキシコ五輪をのぞき)、ずっと実施され続けてきたのは、こうした幸福な普及スパイラルが基盤にあるからだ。海外勢の活躍を見ていると、元はといえばみんな日本のおかげで強くなったのに…と逆恨み的なグチの一つもこぼしたくなるが、そんな小さいことを言っているようでは五輪競技としても、魅力あるスポーツとしても生き残っていけないと、会場の片隅で己をたしなめたりしている。(スポーツライター・佐藤温夏)