6月下旬、男子マラソンの佐藤敦之(34)選手を取材するため福島を訪れた。4年前の北京五輪代表だった同選手は、実業団の中国電力を休職しこの5月に活動拠点を故郷の福島に移した。東京電力福島第1原発事故で人口が減る福島を勇気づけるとともに、自身ももう一度マラソンで世界を目指すために下した大きな決断だった。岐路に立って思い悩む夫を「敦之が決めたことなら間違いないから大丈夫」と励まし続けたのが妻の美保(34)さんだった。

美保さんの旧姓は杉森。「あまり(周りから)陸上選手に見られないんですよ」と言う。色白でごく普通の専業主婦に見えるが、実は女子800メートル日本記録保持者。2004年のアテネ五輪出場や日本選手権3連覇を含む4度の優勝など、女子中距離界のエースとして08年まで第一線で活躍した。そのアスリートも今では走ることは一切なく、夫が納得できるまで競技を続けられるよう日々サポートしている。

「練習をしないと、罪悪感があった」とついオーバーワークになりがちな佐藤選手の考えを変えたのも美保さんで、「練習のやりすぎで調子が悪い時にぱっと言ってくれてストップがかかる」。状態を見極めた的確なアドバイスが選手にはありがたい。また、栄養バランスを考えた食事を毎日作る。結婚するまでほとんど料理をしたことがなく、「それだけが不安だった」と将来の夫に心配されたが、めきめきと腕を上げ、今では手の込んだ料理で夫の胃袋を満足させている。

「結婚したときからどこに行ってもついて行くつもりだった」「主人が決めたことは応援したいという気持ちでいる」「たとえ収入がなくなったとしてもなんとかする。競技をやりたいだけやってほしい」。取材中、一切の迷いもなく、真っすぐ私の目を見て答えた美保さんの顔が印象的だった。あまりにも純粋な言葉ばかりで、逆に私が妙に動揺して言葉が出てこなかった。守るものができると人は強くなる、というが、支える相手ができるということも精神的に強くなるものだと彼女を見ていて気付かされた。黒子に徹し、献身的に支える姿が「かっこいいな」と同じ女性として憧れを感じた。

記者になって約2年4カ月。取材した選手の多くが口にした「妻、家族の支えがあった」という言葉を今までは聞き流してきた。正直、ありきたりで「臭いフレーズだな」と思ってもいた。しかし選手たちは、きっと私たちが一生かけても味わうことのできない重圧や緊張と戦っているはずだ。見えない敵に勝つ精神的な強さの源となっているのが、気心を知り尽くした身近な人の存在なのだろう。選手がその簡潔な言葉に込める思いは計り知れない。佐藤夫妻の取材を通してそれを痛感させられた。

佐藤選手は来年の世界選手権代表の座を狙っている。夫婦の二人三脚で培った力を糧に、再び世界の舞台で活躍する姿を見せてほしいと切に願う。

星田 裕美子(ほしだ・ゆみこ)2010年に共同通信入社。同年12月から大阪運動部勤務。主に陸上、サッカー、アマ野球を担当。1986年生まれ。東京都出身。