「サイドアタックの有効性」。サッカーの世界では昔から普遍的に語られてきたフレーズだ。なぜサイドからの攻撃が有効か。それはサイドにボールがあれば、ディフェンダーの視線は当然外側に向けられる。その背後の状況を常に監視することは、背中に目でもついていない限り不可能。アタッカーはディフェンダーの背後のスペースに気付かれずにタイミングよく侵入すれば、フリーでゴールを狙うことができるのだ。

しかし、かつてサイドアタックの有効性を認識しながらも、あえてこの流れに逆らうようなプレーを見せた特別なコンビがいた。旧西ドイツの生んだ稀代の点取り屋“ボンバー"(爆撃機)ゲルト・ミュラーと“カイザー"(皇帝)フランツ・ベッケンバウアーだ。バイエルン・ミュンヘンでも数々のタイトルを手にしたドイツの生ける伝説は、当時では画期的といえたベッケンバウアーの最終ラインからの攻め上がりを起点にミュラーが次々とゴールを陥れた。その攻撃パターンのほとんどが、サイドアタックではなく壁パスや縦パスを使った中央突破。その真意を問われたベッケンバウアーは、事も無げにこう言い放った。「なぜ中央突破かって?真ん中からいった方が一番ゴールに近いからだよ」。サイドからの攻撃を重視する日本代表ザッケローニ監督のサッカー。相手守備陣の視線がライン際に引きつけられるなかで、一発の縦パスで相手の心臓を突き刺す。6月8日に埼玉スタジアムで行われたワールドカップ(W杯)アジア最終予選のヨルダン戦では、遠藤保仁の存在の大きさを改めて思い知らされた。日本の誇るもう一人の縦パスの名手・中村憲剛の地を切り裂くような鋭利な縦パスとも違う柔らかなタッチ。派手なゴールラッシュのなかで、「日本代表の頭脳」といわれる男のこの日のプレーは芸術性も含め際立っていた。

ヨルダンGKの美技に阻まれたが、開始5分に岡崎慎司が反転しての左足ボレー。22分の本田圭佑のこの日の1点目。31分に岡崎が打ったシュートがDFに当たりこぼれたボールを本田が押し込んだ日本の3点目。そのすべては、遠藤のシルクのような優しい肌触りを思わせるタッチの右足の縦パスから生まれた。こんなビッグチャンスやゴール場面を目の当たりにすると、サッカーが簡単に見える。手数をかけずにゴールに直結する縦パス。しかし、それを出せるのは希有な才能を持った者だけに限られるのだろう。

普段、一段高いスタンドやテレビの画面で試合を見ていると気付かないが、限りなく平面に近いピッチレベルに立つ視野から、選手すべての状況を瞬時に把握することは簡単ではない。だから試合の流れを俯瞰できるイタリアのピルロやスペインのシャビ、イニエスタは特別な存在なのだ。遠藤もそんな一人だろう。さらにその狙ったポイントにパスを通す技術の高さ。それはキックをする直前にボールを置く場所と体の位置に関係する。キックのうまい選手。その秘密は体に対してボールを置く位置にある。以前、キックのスペシャリスト、ベッカムの映像を見せてもらったことがあるが、動いているボールを蹴るときも、FKを蹴るときも軸足に対してのボールを置く位置は同じ。映像を重ねたらぴったりと一致したことに驚かされたことがあった。常に同じフォームで同じところに置かれたボールをキックすることで、精度の高いパスが送られる。あとは強弱の問題だけだ。

ジーコ・ジャパンの一員として臨んだ2006年W杯ドイツ大会。遠藤はフィールドプレーヤーとしては唯一出場機会がなかった。あれから6年。いつの日か代表キャップはGK川口能活を抜いて117。日本歴代2位に躍り出た。井原正巳の122キャップを抜くのも時間の問題だろう。日本の誇るいぶし銀の仕事人がブラジルW杯のピッチに立つときは34歳。フットボーラーとしては高年齢であることは間違いないが、遠藤がブラジルW杯のピッチに立っていない日本代表を想像することとは、現時点ではまず考えられない。

今シーズンは所属するガンバ大阪の低迷もあって、最終予選初戦となったオマーン戦では、「まだ代表のリズムに合っていない」という印象もあった。それがキャンプで代表の仲間と同じ時間を過ごすことで、いつもの変幻自在の遠藤の姿を取り戻した。本田のハットトリックが懸っていなかったら、久しぶりのコロコロPKを見たいと思った人も多かったのではないだろうか。でも大人だなと思う。やんちゃな弟に主役の座を譲るベテランの寛容さ。本田は勝手に育っていっているのだろうが、少なくとも日本代表のなかでは遠藤が育てているという面もあるのではないだろうか。太極拳を思わせるような力みのない滑らかな身のこなし。それでいて一撃で相手を仕留める必殺の毒針を秘めている。

「今日だけを見ればうまくできたように見えるが、これをコンスタントにやっていかなければいけない。キープするところはしっかりキープして、縦パスを入れられればいい」。アジアレベルでは間違いなく最高級の派手な攻撃陣を持つ日本にあって、それを陰で自在に操る縦パス・マスター遠藤。マンチェスター・ユナイテッドのファーガソン監督も「彼は違いを生み出せる特別な存在だ」と認めている。彼の真価が本当に発揮されるのは、アジアの舞台ではなく、もっとすごい選手と強いチームが集う場。2年後のブラジルだろう。

岩崎 龍一[いわさき・りゅういち]のプロフィル

サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。5大会連続でワールドカップの取材を行っている