「試合終了のホイッスルが鳴るまであきらめるなよ!」。自分がサッカーをやっていた時代、そして現在。子どもたちにサッカーを指導している立場として、何度この言葉を耳にしたり、発したりしたことか。でも、どこまでこの言葉の重みを理解していたのかなと自分でも疑問に思う。そんな心が惹きつけられる試合が5月13日にあった。最終節を迎えた、イングランド・プレミアリーグのマンチェスター・シティーとクイーンズパークの一戦だ。

イングランド北西部に位置する英国第2の都市マンチェスターといえば、サッカーを多少かじったことがある者なら、誰もが“レッド・デビルズ"ユナイテッドの赤いユニホームを思い浮かべる。その同じ街にありながら水色のシティーは、常に肩身の狭い思いをしてきた。プレミアリーグ(旧フットボールリーグ1部も含む)優勝19回。世界的人気を誇るユナイテッドに対し、シティーはあくまでもマンチェスターという街限定の支持を集める地味なクラブにすぎなかった。

1980年代後半以降、トップ・ディビジョンの残留が最大命題となり、98―99年シーズンはディビジョン2(実質の3部リーグ)に降格した、主役にはほど遠いクラブ。転機が訪れたのは21世紀に入ってからだった。2008年にはアラブ首長国連邦(UAE)の投資グループが購入。王族一族のマンスール・アル・ナーヤンがオーナーに就任すると、巨額のオイルマネーに物を言わせて、次々とスター選手を買いあさった。しかし、選手の数合わせだけでチームは機能しない。08―09年10位。09-10年5位と投資には見合わない順位。ビッグネームを羅列しただけの集団をチームとしてまとめたのが、09年末に監督に就任した、前インテル・ミラノの監督ロベルト・マンチーニだ。

現役時代は華麗な足技を誇る「ファンタジスタ」。そのイメージとは裏腹に、監督となってからのマンチーニは規律を重んじる手堅い指導者となった。フルシーズンを指揮した10-11年は3位。そして迎えた今シーズン、チャンスが訪れた。その根底にあったのが指揮官の植え付けた「あきらめない心」だった。第32節を終えた時点では宿敵ユナイテッドにつけられた勝ち点差は8。残り6試合でのこの差は、強いユナイテッドを思えば絶望的にも思えた。しかし、シティーはじりじりと差を詰めて、最終戦を前にした第37節に勝ち点で並ぶ。逆に得失点差で上回り、44年ぶり3度目のリーグ優勝に向けアドバンテージを握った。

同時刻に始まった第38節。ホームに迎えた相手は、宮市の所属するボルトンとの残留争いを最終節に持ち越したクイーンズパーク。ユナイテッドに得失点差でひっくり返される可能性は低く、格下相手に勝てばいいという条件だった。前半20分にサンダーランドを相手にしたユナイテッドがルーニーのゴールで先制したという情報が入ると、シティーも39分にアルゼンチン人のサバレタが先制。圧倒的優位に試合を進め、試合はすんなり決着するかと思えた。ところがそう簡単にはいかなかった。というより、心がサッカーに惹き込まれるドラマはここから始まった。後半3分、クイーンズパークはシセがワンチャンスをものにして同点に追い付く。さらにテベスに対する肘打ちでキャプテンのバートンを退場処分で失い10人になったにも関わらず、21分に見事なカウンターからマッキーが鮮やかなダイビングヘッドを決め逆転したのだ。サッカーは圧倒的にボールを支配しているほうが勝つとは限らない。そう思い知らされたのが、つい先日のチェルシーを相手にしたバルセロナだ。この日もあの再現かと思わせる内容だった。

個人技で劣るクイーンズパーク。それでもすごいなと思ったのは、10人になっても徹底的に守り切ろうと思えば守り切るということだ。日本人にはなかなかできない。GKケニーの度重なる美技もあったが、ペナルティーエリアの5メートル前から2列に築いた密度の濃いブロックは、高い技術を持つアグエロやテベス、ナスリ、ダビドシルバの侵入を許さない。苦し紛れのミドルシュートは、ことごとく人の壁に阻まれていく。

44年も待ちわびて、その期待がほぼ絶望に変わっていた。サポーターにとっては、まことに心臓に悪かったが、ここから味わったことのない至福の時が訪れる。ロスタイムに入って、ダビドシルバの右CKをジェコがヘッドで押し込み同点。さらにポストプレーからアグエロが劇的な決勝ゴール決めた。まさにマンチーニ監督の「クレージーな勝利」という言葉が当てはまる展開と結末だった。ピッチになだれ込む水色のサポーター。イングランドに住む友人の話では、リーグ優勝したときだけはこれが許されるそうだ。そして思った。44年間も優勝できないチームを支えていける「あきらめない心」を持ったサポーターが、日本にはいるのかなと。

岩崎 龍一[いわさき・りゅういち]のプロフィル

サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。5大会連続でワールドカップの取材を行っている