今夏のロンドン五輪の彼方、来年のアマチュアボクシング世界選手権が、もう待ち遠しい。井上尚弥(井上ジム)がいるからだ。昨年10月開催の同選手権では、高校生ながら日本代表、ライトフライ級五輪出場権獲得まであと1勝も、世界最強国キューバ代表とぶつかる不運。敗れるも接戦で、今年4月初旬のカザフスタン開催アジア選手権優勝者に与えられる出場権に望みを繋ぐが、決勝で地元選手に敗れ、またもあと1勝で五輪出場を逃す。しかし、アジア選手権準優勝の称号と海外遠征通算12勝4敗という逞しさに、日本初のアマ世界王者誕生を望むのもあながち夢ではないはず。

ところで報道では、井上の十代での五輪出場なるかという点に注目されていたようだが、出場権を獲得していたとしても、19歳での出場は井上で最初ではなく、例えば、1960年ローマ五輪で日本初のメダル(銅)を獲得したフライ級の田辺清(中央大)は、当時19歳。64年の東京五輪フェザー級代表・高山将孝(早稲田大)は45年10月生まれで、五輪出場時は弱冠18歳だ。井上の活躍が、かつての天才少年・高山の記憶を甦らせてくれた。

東京五輪の前年63年10月、リハーサルとして20の競技に37カ国からの参加者を集め、東京国際スポーツ大会が開催され、ボクシング・フェザー級で、この年の全日本王者・中村政美(福岡大)を決勝で破った東京の中央商業高校3年生、当時17歳の高山が優勝。天才少年出現に注目が集まった。

この高山を育んだのが、伝説の「ベビーボクシング」であり、これは57~58年頃に東京・目黒区にあった野口ジムで、道路で遊ぶのは危険だからと近所の子供たちにジムで礼儀作法とボクシングを指導したところ、当時の新聞やテレビで好意的に報道され、評判となった「教室」だった。実際、「ベビー」出身者には、プロで世界フェザー級王者となった西城正三(協栄)もおり、五輪のメダル獲得は果たせなかった高山もピストン堀口ジムでプロ転向後、日本ライト級の名王者として君臨し、のちの世界王者・ガッツ石松(ヨネクラ)の挑戦も引き分けで王座を守っている。井上には今日の子供たちへの競技普及メソッド「キッズボクシング」の「最高傑作」という評価があることも、「ベビー」の「優等生」高山を回想させた一因かもしれない。(草野克己)