まだ日本列島は、桜の季節にはちょっと早いかもしれないが、ことサッカー界に限っては一足早い「桜咲く!」だ。

ロンドン五輪出場を懸けたアジア最終予選の最終節。3月14日に東京・国立競技場で行われたU-23日本代表―バーレーン。得点者がスペイン語で「桜」を意味するセレッソ大阪所属の扇原貴宏と清武弘嗣であったこと。さらにこの試合に2-0の勝利を収め、C組での首位を確定させたこと。受験生と似た精神状態の立場に置かれ、ロンドンを目指していたU-23日本代表の若者たちにとって出場権を手に入れたということは、まさに合格通知を受けたと同じ。これ以上の「桜咲く!」の似合う状況はないだろう。

前半は決して褒められる内容ではなかった。関塚隆監督が「僕自身も前半のこのリズムじゃ危ないな。失点するんじゃないかと思っていた」と振り返るように、見る側にとっては消化不良を起こしそうな展開。その流れを劇的に変えたのが、このチームの最年少、20歳の扇原だった。

「前半はリズムが悪くて前に出られなかった。後半は思い切って前に行こうと思った」。細身の長身ボランチの的確な判断力がゲームを動かした。後半10分、比嘉祐介の縦パスが左サイドの原口元気に入った時点では、扇原の動きはまだゆっくりだった。しかし原口がゴールライン際までボールを持ち込むと、扇原は急激なスピードアップをはかる。バーレーンDFが原口のサイドに向いたことでゴール前にスペースができたからだ。

スピードアップするタイミングが少し早かったら、おそらくDFにマークされていただろう。しかし、わざとタイミングを遅らせたことで、フリーになった扇原は相手の背後に入り込み、利き足とは違う右足インサイドでニアポスト際に弾丸シュートを突き刺した。

先制点という以上に大きな重みを持つゴールだった。日本イレブンが背負っていた心の重荷を解放する1点。このゴールを境にがぜん動きの良くなった日本は、その4分後に清武が勝利を決定付ける2点目を決めた。

若い年代では短期間に急激な成長を見せる選手がよくいる。扇原は、まさにその典型だろう。五輪代表で初出場したのは昨年8月10日のエジプトとのテストマッチ。途中交代で出場したこの試合をきっかけに、キャプテン山村和也の故障もあって、最終予選6試合で5試合に先発し、完全にレギュラーの座を奪った。

守備戦術が日々進化し、プレスが厳しくなる現代サッカー。イタリアのアンドレア・ピルロに象徴されるように、攻撃をコントロールする役割は一昔前までのトップ下からボランチに移ってきた。そのボランチに位置する扇原はJクラブのアカデミーの生み出した一つの誇れる見本品だろう。高い技術と戦術眼を併せ持つ。Jリーグ開幕当時は、このポジションには汗かきの勤勉な働き蜂はいても、彼のように試合を劇的に変化させられる日本人選手はいなかった。

FKのキッカーを務めることからも分かるように、キックは正確。その扇原の最大の武器は左利きということだろう。日本人選手のほとんどは右利きだ。確かにプロになるレベルの選手は、左右両足を同じく使える選手が多い。とはいえ、ワールドカップレベルでも勝負所ではやはり圧倒的に利き足でボールを扱うというデータを見たことがある。ボランチのポジションで扇原は体を開かずに左足で右サイドのアタッキングゾーンにパスを展開できる。これは一度体を開かなければいけない右利きの選手との大きな違いだ。

この試合でも扇原は、前半14分にGK権田修一からボールを受け50メートル強のロングパスを右サイドの清武に送った。右利きの選手よりも明らかにタイミングはワンテンポ早い。日本人は右利きが多いということを踏まえれば、右サイドでボールを受けた選手が前を向いてクロスを送れば、ゴール前の選手はそのまま得意の右足でシュートをダイレクトに蹴ることができる。日本の一般的なチームは、右サイドからの攻撃のほうが得点を生み出しやすいのだ。

Jリーグ発足以降、代表チームのユニホームを着た選手を思い返すと、一列前には中村俊輔という稀代のレフティがいたが、ボランチのポジションには記憶に残る左利きの選手はいなかった。その意味で扇原には日本サッカーに変化をもたらすことを期待してしまう。でも間近で見たら、まだまだ183センチの身長に比べ、体が細い。体に厚みと強さが出てボール奪取力がついたら、パスセンスは抜群なだけに、日本サッカー史に名を残す大型ボランチに大化けする可能性を秘めている。そう思ったのは僕だけだろうか。

岩崎 龍一[いわさき・りゅういち]のプロフィル

サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。5大会連続でワールドカップの取材を行っている