連日、米アリゾナ州からダルビッシュ投手(レンジャーズ)やイチロー選手(マリナーズ)らの“キャンプ便り"が伝えられている。日本では早くもオープン戦が本格化してきたが、2月のキャンプでスポーツマスコミが大きく扱ったのが、新球団DeNA横浜ベイスターズの中畑清監督だった。

▽巨人で育ち、師は長嶋氏

「監督をやりたかった。最後のチャンスだと思う」と58歳の中畑監督は正直なものだ。2004年のアテネ五輪の野球では、病に倒れた長嶋茂雄監督の代わりにヘッドコーチとして代表チームを指揮(銅メダル獲得)したことはあったが、プロ野球からなかなか監督の声が掛からなかった。明るい性格でサービス精神は旺盛。あるいはこうした“軽さ"が敬遠されたのだろうか。巨人で育ち、長嶋氏を師と仰ぎ、事あるごとに「巨人DNA」を強調してきた男が、1月の巨人とのオープン戦を前に、「今まで巨人一色できた。本当にお世話になったが、きょうで決別する」というようなことをナインに言ったそうだ。その試合に逆転勝ちすると「(巨人は)特別な存在。(勝てて)こみ上げるものがあった」。つくづく正直な人物だと思ったが、言わずもがななことを口にするところに「弱さ」を感じたのは、私だけだろうか。複雑な思いになったベイスターズファンもいるのではないだろうか。これまで恩義のある古巣球団と戦った監督はたくさんいる。ほとんどが本音を心の奥底にしまって戦っていたからである。

▽選手には「意識改革」

30年前に海老沢泰久氏が書いた小説「監督」(新潮文庫)という本を読み直してみた。1978年に広岡達朗監督が弱い球団だったヤクルト(本ではエンゼルス球団)をリーグ初優勝させたことを題材にしている。広岡監督が選手の「意識改革」を荒療治で進めることと同時に、巨大戦力を持つ長嶋巨人との激しいペナント争いの末に、大逆転優勝するというストーリーだ。

広岡氏は1954年、早大から巨人入りし新人王を獲得。長嶋氏と三遊間を組んだスター遊撃手だったが、川上哲治監督との確執などからわずか13年で引退した。長嶋氏へのライバル意識も強かった。「怨念」を胸に戦ったわけだが、本の中でこんな場面が出てくる。記者から「特別な気持ちをジャイアンツに持っているか」と聞かれ広岡監督は「勝ちたい。他の4チームに対してと同じように。1勝は1勝だから」と答える。また巨人への特別な感情が勝負に役立つのかと問われ「感情で野球に勝てたら、こんないいことはないね」と言っている。

▽名将たちも

かつて、巨人の監督の座を追われ西下した三原脩氏が西鉄ライオンズ監督として巨人を倒した。その三原氏を追い出した格好の水原茂監督も巨人を去った後、中日で巨人と戦う。南海ホークスを追われた野村克也氏がその怨念をバネに名監督の座へ駆け上がった。広岡監督は厳しすぎる管理で知られ、選手や球団との深い溝をつくり辞めていく。ヤクルトは翌79年で退団し、西武監督として巨人を倒した2年後にこれまた退団。ロッテでは日本で初のGMを名乗ったものの、選手を直接指導する勇み足でバレンタイン監督と衝突し、2年足らずで退任した。

▽阪神で臨時コーチ

広岡氏の教え上手には定評がある。選手の動作を的確にとらえる目を持ち、選手の「プレーのものまね」をさせたら天下一品。また、歯に衣着せぬ言葉は人を引き付ける。「巨人(の混乱)は長嶋終身名誉監督がいるのに、渡辺恒雄会長に野球の本質を教えていないから」などといった具合である。今年に入って中日や阪神で臨時コーチを務めている。「野球を教えることが好きな」80歳の広岡氏と会って野球の話を聞くのは、私の楽しみの一つである。

田坂貢二[たさか・こうじ]のプロフィル

1945年広島県生まれ。共同通信では東京、大阪を中心に長年プロ野球を取材。編集委員、広島支局長を務める。現在は大学野球を取材。

ノンフィクション「球界地図を変えた男 根本陸男」(共著)等を執筆