今年からスクーデリア・フェラーリのタイヤ技術者として単身イタリアで働き始めた浜島裕英氏。元ブリヂストンのタイヤ開発技術者であり、1997年から2010年までのF1タイヤ開発の指揮を執った人物である。その浜島がフェラーリから移籍のラブコールを受けたのはブリヂストンのF1撤退が決定していた2010年シーズンのことだった。

「嬉しいお誘いでしたが、2011年に向けた撤収作業など、やるべき事が山積みだったので、2011年にフェラーリへ行くことは難しいとお断りしました。しかし、昨年の春と夏に『決心はついたか?』と再度打診があり、何度も声をかけていただくのは、相手も本気なのだし、僕自身も大きなチャレンジだと思いましたので決心しました」

そしてイタリアへの単身赴任。家族は大黒柱の一大決心をどう受け止めたのだろうか?

「息子はまだ学生なので、少し不安がっていましたが、娘はイタリアに行く機会が出来ると喜んでいました。家族が僕の決心を理解してくれたことには本当に感謝しています」

59歳といえばギリギリ“団塊の世代"であるが、そのまま定年退職することなく新たな挑戦を選択した理由を聞いてみた。

「現在、ブリヂストンを退社してF1チームで働くスタッフが2人います。“若い才能と対等に挑戦してみたい"という気持ちでしょうか。日本の産業界には定年前後でも高度な仕事をこなせる人が数多くいます。しかし組織は若い世代に仕事を引き継がなければならない。その論理は理解できますが、日本で若年層が激減してくなか、組織が必要とする若く優秀な人材を毎年確保できるとは限りません。であれば、年齢層を上げつつも質の高い労働を生み出す構造の再構築を考える必要に迫られてきているのではないでしょうか」

長年世界を転戦した浜島の視点は、仕事人としての意識と共に、この先の日本企業が抱える問題への提言も含まれていた。年齢を問わずモチベーションがある人材には高度な仕事を提供する。これこそが日本復活への大きな手がかりなのかもしれない。

そして1月25日、F1関係者に一通のメールが届いた。

「浜島裕英です。本日より59歳の新たな挑戦をイタリアにて開始しました」

ひとりの日本人技術者による最高峰への挑戦に、最大級のエールを送りたい。(モータージャーナリスト・田口浩次)