プロ野球の西武から戦力外通告されたGG佐藤(本名・佐藤隆彦)選手がプレーの場を求めて練習を続けている。昨年11月と12月の合同トライアウトに挑んだが、どの球団からも声が掛からなかった。その直前に久しぶりに会ったが、引き締まった体にびっくりさせられた。聞けば「けがをしない体にするため10キロの減量をした」そうだ。

▽「このまま終わりたくない」

その時「このまま終わりたくない」とも言った。実はこのセリフ、2003年11月にも聞いたことがある。GG佐藤は法大を卒業して米大リーグ、フィリーズの1Aで3年間プレーしたが、メジャー昇格の夢は実現せず帰国した直後だった。取材を通じて知り合っていた私はドラフト会議直前の西武に「テストしてもらえないか」と橋渡しして、ドラフト7位での入団が実現した。手元にある1A時代のGG佐藤の「野球選手カード」を見ていると、1Aの別名「ハンバーガー・リーグ」での彼の夢と苦労が思い出されてくる。

▽まだ33歳、パワーは健在

西武では4年目からレギュラーを獲得し、2008年の北京五輪の日本代表に選ばれた。慣れない左翼を守り、致命的な失策をやらかし精神的に深手を負ったが、翌シーズンは136試合に出場し、打率2割9分1厘、25本塁打、83打点の過去最高の成績を残し、1億円選手となった。両親をも困らせる一本気な性格が年俸調停やコーチとのトラブルに発展したのかもしれないが、右方向にも本塁打できるパワーやファンに人気のキャラクターが、このまま球界から去るのは、いかにも寂しい。まだ33歳。「野球をやりたいだけなんです」は本音である。

▽セカンドキャリア支援

スポーツ選手はいつか引退する。選手寿命は確実に延びているが、それでもプロ野球選手は29歳、Jリーガーは26歳、大相撲力士は21歳が“平均寿命"と言われている。プロ選手の厳しい現実なのだ。Jリーグでは早くからセカンドキャリア、いわゆる第2の人生のためのサポート態勢をつくっているし、プロ野球、大相撲とも連携しながら、選手への教育を強化している。元々は米プロフットボールのNFLなどが組織的に行ってきたことで、けがが付き物のスポーツでは大切な取り組みといえる。

▽「引退後に不安」は70%

プロ野球も5年目になると思うが、12球団の現役若手選手に「セカンドキャリア」に関するアンケート調査を行っている。昨年10月の調査では、引退後に不安を感じている選手は70%いて、そのほとんどが進路と収入面が不安と答えている。引退後の進路は(1)高校野球の指導者(2)飲食店開業(3)大学、社会人指導者(4)スカウト、スコアラー(5)プロ野球監督、コーチなどの順だった。独立リーグでのプレーはわずか1・2%で、このあたりはプロ野球界の独立リーグへの理解・支援不足だと、私は思っている。

▽文武両道にも目を向けよう

スポーツのトップ選手も高年齢化する一方で若年齢化する傾向がある。ただ、若年齢化は気を付けなければならない。9年ほど前にマーティ・キーナート氏(現楽天球団顧問)が著した「文武両道、日本になし」で、世界には五輪クラスのトップアスリートが弁護士や医者、博士になる例がこれでもかというほど書かれているのだが、日本人ではまずいないという。それは子どものころから「この道一筋が美徳とされ」、野球なら野球、サッカーならサッカーしかしない。それは個人の問題ではなく日本のシステムがそうなっていると著者は指摘している。世界の頂点に上り詰めるための努力や過酷な練習などは同じだが、セカンドキャリアでの選択肢が違う。それは幼少のころからの育てられ方や社会の仕組みによるというのだ。

▽外科医になった野球選手

古い野球ファンなら広島のホプキンス選手を覚えているだろう。1975年の広島初優勝に貢献した元大リーガー。シーズン中も暇を見つけては医学書を読んでいたのは有名だったが、引退後は米国で外科医になった。こうした例を希なことだと片付けては元も子もない。日本でも大学で学ぶ元スポーツ選手が増えてきたのはいいことである。

田坂貢二[たさか・こうじ]のプロフィル

1945年広島県生まれ。共同通信では東京、大阪を中心に長年プロ野球を取材。編集委員、広島支局長を務める。現在は大学野球を取材。

ノンフィクション「球界地図を変えた男 根本陸男」(共著)等を執筆