日本の第一人者の揺るがぬ志に感服した。1月27日に閉幕した水球のロンドン五輪アジア予選を兼ねたアジア選手権(千葉県国際総合水泳場)。日本男子は4チーム中3位に終わり、1984年ロサンゼルス五輪以来の悲願の五輪出場にまたしても届かなかった。カザフスタンに敗れ、最終戦の中国戦を待たずに五輪出場の可能性が消滅した26日の試合後のインタビュー。98年から代表でプレーする31歳の大黒柱、青柳勧(ブルボンKZ)は自らの「今後」について問われると、こう即答した。「何としても五輪に出るまでは、水球はやめられないと思っている。それが2016年であっても、20年になっても」。五輪行きを逃したショックを断ち切るように、きっぱりとそう言い切った姿に、不屈の精神を見た気がした。

青柳は人一倍の情熱と行動力で日本水球界をけん引してきた男だ。若くして海を渡り、世界最高峰のイタリアやモンテネグロなどのプロリーグで長く活躍。09年に帰国すると、こんどは菓子メーカーのブルボンの協力を得て、同社が本社を置く新潟県柏崎市に社会人選手の受け皿となるクラブチーム、ブルボンKZを翌年設立した。「日本の水球を強くするには、海外に1人で出てプレーするだけでは何もできないと分かった。競技環境を整備しないと、五輪への道はないと思った」からだ。水球は、バレーボールやバスケットボールのようなほかの球技と違って、国内には実業団チームがない。「大学を卒業した選手は仕事をしながら競技を続けようと思っても、(企業の理解を得られず)遠征や合宿のたびにアルバイトを変えたり、再就職したりしていた。それでは生活していけない。いつも国際大会からの帰りの飛行機では『おまえ来年どうするの?』『引退するの?』『もうこれ以上、親には仕送りを頼めない』といった話ばかり。そんな現状を変えたかった」と言う。

自身の構想をレポート用紙何十枚にもまとめ、ブルボンをはじめとした地元の企業を回って熱弁をふるい、選手の雇用先や協賛を開拓して、行政からの助成も取り付けた。選手の雇用先企業には代表活動で抜けている期間も有給扱いになるように交渉した。「水球は40歳になっても続けられるスポーツ。選手生命が伸びれば、代表の強化も進むし、選手層も厚くなる。安定した生活保障を得て、(競技生活を続けられるよう)持ちこたえられる環境をつくっている」。なんとしても日本水球界を発展させ、五輪出場への道を切り開くという一心で、駆け回った。

ブルボンKZでの画期的な試みは、「水球のまち」を掲げる柏崎の町おこしと連動し、軌道に乗りつつある。地元でのテレビ出演などで露出が増えた選手は、スーパーのレジでも、ガソリンスタンドでも声をかけられるほどの人気者になった。地域の学校にブルボンKZの選手が水球の出前授業に行くなどの普及活動も展開。市全体に水球を支える雰囲気が醸成されつつあるという。青柳は強豪国のモンテネグロを引き合いに出して、こう話したことがあった。「例えばモンテネグロより、水球人口は日本の方が断然多いですよ。でも、モンテネグロは一貫教育で育ってくるシステムがあるから強い。スカイツリーみたいに、支える底辺が小さくても、(土台が)しっかりしていれば、それを高くのばすことができる。マイナースポーツが生きる道はこれしかない。柏崎をモデルケースにしたい。いまは種まきをしている段階。それがいつか大木になればいい」

挑戦はまだ、始まったばかりだ。中国との最終戦が終わった後、青柳は報道陣に「正直、2010年にブルボンKZを設立した際に、2年では五輪に出るにはまだ(環境整備が)足りないかな、という思いもあった。ブルボンとは(支援で)6年契約。日本の水球代表の選手を全員柏崎に集めて、365日強化できる態勢をつくりたい。あしたからでも、4年後に向けた態勢づくりを始めたい」と語った。その少し前には、プールサイドに立ち、マイクを握って、スタンドのファンに向かって頭を下げていた。「チームを代表して、一つだけお願いがあります。必ず4年後にブラジル(リオデジャネイロ五輪)に行くので、もう少しの間、時間を下さい」。この男なら、必ず成し遂げるだろうと思った。

長谷川大輔 1980年、千葉県生まれ。2003年共同通信社入社。大阪、広島でプロ野球を取材し、2009年から水泳、バレーボール、バスケットボールなどを担当。