プロ野球楽天の山崎武司選手の退団が9日に発表された。球団は花道を用意し、コーチとして球団に残るように要請した。しかし、本人が現役にこだわり、7年間を過ごした仙台を去る決断をした。

チームではいまだにナンバーワンの飛距離を誇る。今季は11本塁打にとどまり、故障もあって不完全燃焼の思いも強かったのだろう。42歳という年齢で、なお現役への執念を持ち続ける姿勢には敬意を表したい。ただ、山崎選手にはどんな形であれ、楽天に残ってもらいたかったし、残るべきだったのでは、というのが個人的な感想だ。潮時を知れ、などと言うつもりはない。それほど楽天にとって特別な選手だからだ。

山崎選手は2004年オフにオリックスを解雇され、現役引退を真剣に考えていた時に、新規参入した楽天に拾われる形で加わった。私は当時、楽天の担当だった。球場改修も突貫工事で間に合わせ、用具もない、スタッフもいないという状態で開幕を迎え、初年度は97敗。

そんな中でも山崎選手は「野球ができるだけでも幸せ。楽天に、仙台に恩返しがしたい」とうれしそうに語り泥だらけになって練習に明け暮れた。そして07年に本塁打と打点の2冠に輝き、「リストラの星」として注目を浴びる。輝きを取り戻したバットと持ち前のリーダーシップで09年は初のクライマックスシリーズ(CS)進出にも大きく貢献した。仙台のファンは、チームの歴史そのものであり、顔である山崎選手のバットに一喜一憂し、夢を乗せ、心を躍らせてきたのだ。

ふと、ソフトバンク前監督の王貞治氏の話を思い出した。まだ弱かったダイエー監督時代、ファンに生卵を投げつけられる屈辱を味わいながらも、じっと耐え、投げ出すことなくチームを優勝争いの常連に育て上げた。何度も東京に帰るタイミングはあったそうだが、球界のために福岡に球団を根付かせることが大事だと考えて残ったのは有名な話だ。

楽天は誕生してまだ日が浅い球団だ。しかし、創設からのメンバーは数えるほどしか残っていない。どういう経緯で、どんな苦労を重ねてここまできたのか。野球の技術を教えるだけのコーチはいても、球団の歩みを、自分の言葉で身をもって教えられる指導者はそうはいない。彼にはそれができる。だから、残念でならない。いつかまたチームに戻り、東北のファンに野球のおもしろさを伝えてほしい。そう願っている。

早川 雄三(はやかわ・ゆうぞう)1976年、埼玉県出身。2000年に共同通信社入社。東京、福岡、大阪、仙台でダイエーや楽天、西武などプロ野球を中心に取材。今季は巨人担当。