「ミスター・プロ野球」こと長嶋茂雄氏が復帰に向けて懸命のリハビリを続けている。

2001年限りで巨人の2度目の監督を辞め、アテネ五輪の野球代表監督に就任後の2004年3月に脳梗塞で倒れた。

そのリハビリの模様がNHKで取り上げられ、また最近は新聞のインタビューに応じて、75歳の戦う姿を見せている。

▽長嶋氏の姿よぎる反攻ぶり

その長嶋氏は「現場復帰」、つまりグラウンドに立つことを「宣言」している。不屈の精神力に驚かされるが、なにより野球にかける、その執念がすごい。

最近の原・巨人の反攻ぶりを見ていて、ふと長嶋氏のことが頭をよぎった。ペナントレースも終盤に差し掛かり、おそらく「メークドラマ」という言葉がスポーツマスコミを賑わすだろう。

▽わずか2カ月前は…

巨人ファンが「今年はもうダメか」と天を仰ぎ、オーナーも監督采配にクレームを付けていたのは、つい2カ月ほど前。首位に10ゲーム差を付けられて前半戦を終えるなど、苦戦を強いられた。救いは首位ヤクルトを除くほかの4球団も揃ってもたついたことだった。

8月に入り7連勝。逆にヤクルトが負け出すと、あっという間に差が縮まり、30日現在、3位でヤクルトとの差は2・5ゲーム。ただ、4位まで3・5ゲーム、5位でも4・5ゲーム差という大接戦となっている。

▽大逆転の代名詞

ペナントレースでの大逆転優勝といえば、2008年の原・巨人が13ゲーム差あった阪神を破る球史に残る逆転劇を演じた。

ただ、1996年には長嶋監督率いる巨人が11・5ゲーム差を付けられた広島を逆転し、この時生まれた「メークドラマ」という言葉が大逆転の“代名詞"になったと思う。

▽長嶋氏の「攻める野球」

大逆転劇が生まれる背景はなにか。私は打ち勝つ野球だと思う。もちろん、走攻守のバランスが大切なのは言うまでもないが、大きく連勝できるとしたら攻撃力がやはり物を言う。そんな攻撃野球こそがプロ野球の魅力とばかり、追い求めたのが長嶋氏だった。

私は巨人を担当したことはなかったが、12年前の春、宮崎キャンプ中の長嶋監督を単独インタビューする機会があった。

人を引き込むような話しぶりと笑顔が印象に残っているが、手堅い守りの管理野球とは無縁の「攻める野球」の話だったと記憶している。「攻撃は最大の防御なり」と。

▽評価分かれた「監督」長嶋

選手時代と違って、長嶋監督への評価は大きく分かれた。常勝を義務付けられながら、ファンを楽しませる攻撃野球も求めた。V9の川上哲治監督の後を継いで、長嶋氏は1975年から6年間の1回目の監督で2回優勝したが、日本一にはなれなかった。

巨人の親会社の読売新聞社には「監督を代えろ」という抗議の電話が殺到した。そして監督解任。ところが、今度はその何倍もの球団批判の電話がかかってきたそうだ。新聞の不買運動にまで発展。球団が長嶋人気を見誤った結果だった。

▽好対照だった監督としての「ON」

長嶋氏は1993年から巨人監督に返り咲き、2度の日本シリーズ制覇を果たしたが、浪人中には他球団から監督就任の声がかかった。結局、長嶋氏は巨人から離れることはなかった。

同じように巨人で監督をやり、常勝の壁の前に敗れ退団した王貞治氏が巨人と決別して、ダイエー(現ソフトバンク)の監督になったのとは、好対照の歩み方である。

▽2000年に実現した夢の対決

そのONが監督として日本シリーズで対戦したのが2000年だった。西武球団の管理部長として長嶋氏獲得を果たせなかった故根本陸夫氏がその後、ダイエーのフロントとして王氏を口説き落とした。

「東の長嶋、西の王の対決はファンの夢。2人は球界の宝だからね」と言っていた。これはこれで、フロント“冥利"に尽きる大仕事だっただろう。

▽「メークドラマ・アゲイン」

このON対決を制した長嶋氏は最近、ある紙面でこう語っている。巨人の黄金時代を築いた2人がそれぞれのチームを率いて日本一を争う。天から授かった大事な試合で、本当に楽しかった。実は勝敗はどちらでもよかった―。

勝利至上主義の巨人にあって、この話は面白い。その長嶋氏は、再び「グラウンドでノックする」ために、いま戦っている。笑顔を取り戻した巨人ファンも

「メークドラマ・アゲイン」を合言葉に、グラウンドに目を注いでいるはずだ。

田坂貢二[たさか・こうじ]のプロフィル

1945年広島県生まれ。共同通信社では東京、大阪を中心に長年プロ野球を取材。編集委員、広島支局長を務める。現在は大学野球を取材。ノンフィクション「球界地図を変えた男 根本陸夫」(共著)等を執筆。