以前このコラムで書いたように、朝青龍や白鵬を初めて取材した日のことは明確に記憶している。しかし魁皇となると、なかなか思い出せない。

私が相撲記者になったのが1996年12月。当時24歳の魁皇は関脇に13場所連続在位中(ものすごい記録)で、バリバリの大関候補だった。入社1年目で23歳の私が三役力士に単独取材するのは恐れ多く、他社の先輩記者の後ろに立つ「その他大勢」の一人だった。魁皇と初めて1対1で話をした場面は浮かび上がってこないのだが、ただ一つ若き日の魁皇の微笑ましいシーンに遭遇したことは、今も強烈に覚えている。

97年5月のこと。夏場所前の朝稽古取材で友綱部屋に行ったが、記者は偶然にも私だけだった。「やっと魁皇をひとりで取材できる」。胸は高鳴っていた。しかし、肝心の魁皇がいない。そのまま稽古は午前10時ごろに終わり、相撲専門誌の記者が友綱部屋のちゃんこ鍋を紹介する特集取材でやって来た。魁皇がおいしそうに鍋をつつく、その光景を撮影するために訪れたという。しかし、肝心の魁皇がいない。

業を煮やした師匠の友綱親方(元関脇魁輝)が若い衆に「おーい、早くあいつを呼んでこい!」と怒鳴った。すると2階の自室から「ドスッ、ドスッ」という大きな足音で魁皇が降りてきた。明らかに具合が悪そうだ。恐る恐る「関取、風邪ですか」と尋ねると、途切れ途切れに「違う。二日酔いだ…。朝6時半まで飲んだ。やっちゃったなあ」。

ようやく鍋の前に腰を下ろし、煮えたぎるちゃんこ鍋に箸を付けようとした瞬間だった。「やばい。もう駄目だ」と言って立ち上がり、トイレへ直行。ものすごいうめき声が聞こえてきた。後で本人に聞いたら、胃の中に残っていた酒をすべて吐いたという。

大酒にまつわる力士の逸話は耳にしていたが、現場で見たのはこの時が初めてだった。魁皇と仲がいい佐ノ山親方(元大関千代大海)は「酒を浴びるほど飲んだとか、リンゴを軽く握りつぶしたとか、昔のお相撲さんの伝説のようなことを魁皇はやっていた。それを誰も迷惑に思わず笑い話になったところが、あの男の人徳だ」と目を細める。2年くらい前、ちゃんこ鍋の一件を魁皇に切り出したら笑われた。「そんなことをよく覚えてるねえ。そっちも、この世界が結構長いもんな。あっ、おれに言われたくないか」。人懐っこい笑顔に、どんどんどんどん引き込まれた。

数々の記録と伝説を残し、大関魁皇が7月の名古屋場所限りで引退した。周囲の期待に応え、劇画の主人公のように番付を駆け上がった同期生の貴乃花とは違う。一歩進んで二歩下がり、途中で休憩もした。それでも魁皇は腐らず、努力の継続で史上最多の通算1047勝を打ち立て、土俵を下りた。かど番を13度も経験し、引き際の悪さを問う声もある。しかし「魁皇」という人間に触れたら、そんな思いは柔らかく包み込まれてしまう。私が実際にそうだった。

貴乃花親方(元横綱)がかつて、「人間・魁皇」をうまく表現したことがある。「ここは絶対に勝ってほしい。みんなの期待が寄せられた時ほど魁皇はあっさり負けてしまう。『おかしいなあ』って、首をかしげて引き揚げるでしょう。でもそれも魁皇らしくて、何かいいんだよね」

ファンはもちろん、親方や力士だけでなく、行司から床山の裏方さん、相撲記者にまで愛されたのが魁皇だった。素顔は照れ屋で引っ込み思案の男だけに、引退した時のあらゆる称賛には肩が凝ったのではないか。近いうちに一度、ゆっくりと話を聞いてみたい。もちろん、1対1で―。

田井 弘幸(たい・ひろゆき)1973年生まれ。大阪府出身。96年に共同通信入社。大相撲担当からプロ野球の阪神、中日担当を経て、2002年から大相撲、柔道などを担当。

【お断り】8月10、17日付コラムは休載し24日付から再開します。ご了承ください。