一流選手に欠かせない資質として、勝敗への執着心がある。それは競技の場を離れても、自身が求め、正しいと信じるものに対し、時には激しいほど強い感情となって表れる。東日本大震災の復興支援活動に携わる選手たちの話を聞く度に、そんな思いに駆られる。

サッカー日本代表で不動のレギュラーとなったDF今野泰幸(FC東京)は仙台市生まれで、宮城・東北高校の出身だ。震災が発生した3月11日は、翌日に予定されていたJ2戦のため敵地の岡山に移動していた。何度も携帯電話と公衆電話で仙台市の実家に連絡を試み、やっと通じて無事を確認できたのは12日の朝だったという。

今野はその後も、被災した親戚や友人の安否に一喜一憂する日々を送った。私はFC東京が20日に新宿駅東口広場で実施した義援金募金活動の直後、今野に近況を聞いてみた。その反応が、まだ目に焼きついている。

「高校の後輩に『助けてください』と言われたんですよ。あいつは絶対にそんなこと言わないやつなので、よっぽどひどいのだと思う。赤ちゃんのおむつもミルクも手に入らないらしくて『自分たちは我慢できるけど子どものことが心配で』って…」と話しながら、感極まって泣き始めたのだ。繁華街のど真ん中で人だかりができたが、周囲の目をはばからず涙を流し、声を上ずらせながら言葉をつないでくれた。

今野は震災発生の1カ月後に宮城県亘理町など被災地を慰問し、サッカーボールなどを贈った。

アルペンスキーで昨年のバンクーバー大会まで3大会連続で冬季五輪に出場した佐々木明(エムシ)は、震災発生時はオーストリアにいた。車や建物が津波にのまれるニュース映像に衝撃を受け、3日間は眠れなかったという。

「そのままにはしておけない。俺にでもできることがあるなら、何でもやりたい」。佐々木は帰国後に数度、義援活動を始めていた選手仲間とワンボックスカーを運転し、宮城県石巻市などの避難所へスキーウェアなど物資を届けた。

日本赤十字社と中央共同募金会に寄せられた義援金は、厚生労働省によると10日現在で2701億円。被災者の手に渡ったのは441億円で16%程度にとどまっているそうだ。お金の配分割合を決めるために各自治体が死者数や家屋の被害程度などを調べるのだが、気が遠くなるほど労力を要する作業になるという。

今野は岩手・大船渡高校出のJ1鹿島の小笠原満男らと「東北人魂を持つJ選手の会」を立ち上げ、サッカー用品提供や子どもの試合招待などを続けている。佐々木は6月中旬にも仙台湾の離島で炊き出しをするなど、足しげく被災地を訪れている。

行政が「手続き」と「調整」に縛られて足取りが重い中で、スポーツ選手の決断力と行動力が被災地の人々に希望を与えている。

戸部 丈嗣(とべ・たけつぐ)1972年生まれ。2004年11月から共同通信ローマ支局でサッカーとスキーを主に取材し06、10年W杯サッカー、バンクーバー冬季五輪などをカバー、11年2月に帰国。