3月11日、未曾有の大震災に襲われた。翌12日はWBC女子世界3大タイトルマッチが予定されていた。約2年ぶりの東京での試合を心待ちに体を鍛え上げてきた。計量から試合までのひと時はつらい減量から解放される至福の時である。食事を終えたころ、ぐらぐらと下から突き上げるような小さな揺れを感じた。揺れは次第に大きくなり、東京ドームホテルが大きく揺れていた。車でジムへ移動する途中、道路にはヘルメットをかぶった会社員など、多くの人が外に避難する姿が見られた。試合がどうなるか、電話もメールも通じない状況で連絡待ちのためジムで待機した。

午後7時、試合の中止が決まった。被害状況を知らない私は心待ちにしていた試合中止に落胆した。しかし、帰宅後、テレビで東北沿岸部の被災状況を知り、愕然とした。大きな津波にのみ込まれる町、家、人…。いまだかつてない災害を目にし頭の中に試合のことはすっかりなかった。

試合は5月8日に延期となったが、練習に集中できない。こんな時にボクシングをやっていてよいのかという気持ちと、被災地で苦しんでいる人々のために何かできることはないだろうかと必死に考えた。胸が押しつぶされそうな息苦しい毎日で、あれほど心待ちにしていた試合なのに正直な気持ちはボクシングをしたくないと思っていた。それでも、ボクサーである以上、やりたいのではなく、やらなくてはならないという気持ちもあった。

そんな時、いつも応援してくれる病院の同僚が言った。「募金や節電も大切だけど、私達一人一人がちゃんと仕事をしないと社会は回っていかないよ。それも被災地支援につながるんだよ」と。ある日、募金活動に後楽園ホールを訪れた時、こんな状況でも立派にリングに上がって一生懸命に戦っていた。その選手を福島から応援に駆け付けた応援団もいて『がんばっぺ、福島!』を合言葉に震災から必死に立ち上がろうとしていた。その姿に胸を打たれ「ボクサーのできることはこういうことだ。やるべきことを見失ってはいけない」。気持ちを新たに試合に集中できるようになったのは試合3週間前だった。「試合が終わったら被災地に行こう」と思った。

防衛に成功した後、21日から宮城県の東松島に向かった。何が起きているのか、自分の目で見て知って感じてこよう。現地に行き、震災がもたらした意味がようやく分かった。テレビでは決して知ることができない現実。特に被害の大きかった野蒜地区は3月11日のまま。がれきだらけの町はボランティアも入れず、自衛隊ががれきを撤去し、警察や消防が行方不明者の捜索をしていた。その光景にここがかつて人が住んでいた土地で、駅から近い海岸が海水浴スポットでにぎわっていたことなどとても想像できなかった。自然の恐ろしさと一瞬にして大切なものを奪われた人々の悲しみが伝わり、言葉を失った。

4日間のボランティアを終え、多くの人ことを教えられた。当たり前のように過ごす毎日が実は当たり前ではないということ。与えられている周りにあるすべてが尊く大切なものであること、だからこそ、限られた時間の中で大切に生きていかなくてはならないことを日本人はあの地震から学んだ。それを決して忘れてはいけない。被災地の人が自分たちはもう大丈夫だよ、という日まで支え助け合いたい。一日も早く野蒜海岸にまた、多くの海水浴を楽しむ人々が帰ってくる日を願っている。(WBC女子ライトフライ級チャンピオン・富樫直美)