2011年第4戦フランスGPを最後に、ひとりの日本人グランプリ関係者がパドックを去った。<すぎさん>の愛称で親しまれてきたARAIヘルメットのサービステクニシャン、杉原眞一氏だ。グランプリの世界ではメーカーやチーム、パーツサプライヤー、ジャーナリストやフォトグラファー等、多くの関係者が仕事をしている。<すぎさん>は、そのなかでも最古参のひとりだ。

1947年生まれの杉原氏が最初にレース界に関わったのは、22才のとき。日本国内の4輪レースでメカニックとして仕事をしたのがきっかけだ。今から42年前、1969年の話だ。その後、オートバイレースの世界へ進み、1977年からWGPのメカニックとして転戦を開始。以降、日本人初の世界チャンピオン・片山敬済が1985年に現役を引退するまでメカニックとして帯同した。その間にはフレディ・スペンサーvsケニー・ロバーツの数々の名勝負や、ホンダの伝説的な楕円ピストンエンジン・NRプロジェクトの一部始終も、ピットボックスの中で現場関係者として目撃している。杉原氏はいわば、70年代から80年代にかけてのグランプリ界の生き証人、ともいうべき存在なのだ。

メカニックを引退した杉原氏は、86年からの2年間、ジャーナリストとして活動する。しかし、「両手を動かしてないと気持ち悪い」という理由で、この仕事には早々に見切りをつけ、88年からARAIのヘルメットサービスに転身した。現在でこそ多くのヘルメットメーカーが専用サービストラックをパドックに置いて、選手たちが使用するヘルメットのメンテナンスや補修を行っているが、当時そのようなサービスを行っていたのはARAIだけで、他メーカーはまだレース現場に姿もなかった時代だ。以来、現在に至るまで23年間、ランディ・マモラ、ミック・ドゥーハン、原田哲也、ニッキー・ヘイデン、青山博一、高橋裕紀等々、数々の選手たちが杉原氏の技術に信頼を置き、自分たちのヘルメットを託してきた。

東西冷戦時代から欧州の国境が消滅した現在に至るまで、世界中のサーキットを転戦し続けてきたこの数十年間に、ロードレース界でも様々なものごとが変わってしまった、と杉原氏は言う。

「パドックの中で、かつては皆が集まってバーベキューをやったり、選手の子供たちがそこらへんを走り回ったり、モーターホームの外で洗濯物を干したりすることなんて、ごく当たり前の風景だった。けれども、今ではすべて規制されてしまっている。年々、MotoGPは巨大化してゆき、イベントとしては成功しているのかもしれないけど、何か大事なものを忘れてきてしまったような気がするね。MotoGPに限らず、すべてのスポーツイベントが商業第一主義に走っているけど、もう少しスポーツ本来の愉しさを取りもどしてもいいと思うよ」

長年続いた転戦生活が終了してもオフィスには秋まで在籍の予定だが、その後は、夫人とともにベルギーの自宅で「庭いじりでもしてのんびり暮らす」予定だという。グランプリのヘルメットサービスは、後任の優秀なスタッフが引き継いでいる。(モータージャーナリスト・西村章)