「伝え方が9割」というベストセラーがあったが、サッカー男子でリオデジャネイロ五輪出場権を獲得したU―23(23歳以下)日本代表の手倉森誠監督を見ていると「伝え方こそすべて」とでも言いたくなる。低い前評判を覆して優勝したU―23アジア選手権では、コミュニケーションの質がチームを大きく変えた。日本サッカー協会の技術委員会も大会総括の勝因で「監督のチームマネジメント」を挙げたほどだ。

「周りをその気にさせられないなら監督の資格はない」とまで言う指揮官の真骨頂はイランとの準々決勝。途中出場で決勝点を奪った豊川雄太(岡山)とのやりとりだった。負ければ五輪への道が絶たれる一戦。監督は上背のある相手に対応するため、各位置で最も背の高い選手をピッチに送り出す策を練った。前日の非公開練習で左MFに入ったのは173センチでヘディングも強い豊川。本番前の最も重要な予行演習となるセットプレーの練習でキッカーも務めた。164センチの背番号10、中島翔哉(FC東京)はベンチスタートのはずだった。

だが試合戦当日の朝、監督は豊川と中島の入れ替えを決める。勝負勘がさえ「ひらめいた」という。ただ、これを選手に伝えるのが難しい。選手は練習の布陣などから自身の起用法を敏感に察し、心身の準備を進める。伝え方を間違えれば、大一番での先発で意欲を高めていた豊川に冷や水をかけることになる。コミュニケーション力が試される場で、指揮官は豊川にこう語りかけた。

「背が高い相手に合わせ、トヨ(豊川)をスタートから使おうと思っていた。でも、それだと相手に合わせすぎだ。自分たちの持ち味を消し、勝負の運を逃すかもしれない。トヨの力は途中出場でこそ生きる。トヨを途中から使うことこそが本質だ。だから入れ替えたい」。先発落ちではない。攻守の積極性や位置取りの巧みさ、ゴールの嗅覚といった持ち味を最大限に生かすため、途中から使いたい。切々と訴えかけた成果が延長での豊川のゴールだ。ベンチスタートから先発になって発奮した中島も2得点する快勝だった。試合後「テグさん(手倉森監督)にうまくやられた」と言った豊川の笑顔が、伝え方の大事さを物語った。

甘やかすだけではない。北朝鮮との1次リーグ初戦で決勝点を決めて完封勝ちにも貢献した植田直通(鹿島)、副主将の岩波拓也(神戸)の両センターバックを容赦なく外す厳しさも見せた。将来のフル代表候補を見込まれる2人を奈良竜樹(川崎)と競争させたのだ。植田と岩波は背が高く、自陣の深い位置で守ってもはね返す強さがある。最終ラインを深く取る安全策を取りがちで、北朝鮮戦も自陣にこもって勝った。だが、そればかりになると攻撃で脅威を与えられない。積極的にラインを上げる奈良を使うことで2人の意識を変えたかった監督は「勝っているが、満足してほしくない。ラインコントロールには改善の余地がある。奈良と競争してほしい」と投げかけた。

効果はてきめんだった。植田や岩波もラインを押し上げるようになり、北朝鮮戦では一つも取れなかったオフサイドは、タイとの1次リーグ第2戦とサウジアラビアとの1次リーグ最終戦、韓国との決勝で三つに。準々決勝のイラン戦は七つ、イラクとの準決勝は六つも取った。落ち込みそうな選手は不安にさせず、おごりが見えそうなら安心させない。巧みな働きかけは若い選手を成長させた。

監督が伝え方の大事さを身に染みて感じたのは住友金属(現J1鹿島)でMFだった現役時代だという。プロとしての自覚を説くジーコの目を盗みながら遊びに行くような選手だった。頭ごなしにしかられることも多かった。日ごろの自身の振る舞いに省みるべき点がある。そうは思いながら「なんでこんな言い方しかできないのかな。俺が監督やコーチだったら、絶対に違う言い方をするのに」という反発心はぬぐえなかった。その悔しさが生きている。

監督はミーティングで言うべきことや選手に伝えたいことが思い浮かんだら、食事中でもメモを取り出して書き留める。その姿を見た木村浩吉技術委員は「あんなにまめな男だとは思わなかった」と伝え方への一種の執念を感じるという。職場で毎日のように「なぜこんな言い方しかできないのか」と苦虫をかみつぶす身としては、こんな上司が欲しいと思う。切に。

出嶋 剛(でじま・たけし)1980年生まれ、佐賀市出身。スポーツ紙で8年間勤務し、2011年7月に共同通信に入社。大相撲とボクシングなどを担当し、13年からはW杯ブラジル大会などサッカーを主に取材。