東京・両国国技館にある東西の支度部屋は、全ての力士が準備運動をしたり、身支度を整えたりする場所である。関取衆は思い思いの場所に陣取って15日間の本場所を闘うが、一番奥の広い特等席は正横綱しか使えないという不文律がある。ただ例外もある。千秋楽の打ち出し後だけは、幕内優勝力士が東の支度部屋一番奥に座ることが許される。ここで取組後に大銀杏を結い直しながらインタビューを受け、輝く天皇賜杯を抱いて後援者らと記念撮影をする。番付最上位を意味する東の正横綱でさえも優勝を逃せば、空気を読んでいつのまにか入り口付近へと荷物を移動させている。この作業がなかなか味わい深いものだが、日本出身力士は10年、58場所連続で栄誉ある席を明け渡していたことになる。

1月24日に千秋楽を迎えた初場所では、大関琴奨菊が2006年初場所の大関栃東以来となる日本出身力士による優勝を果たした。昇進してから2桁勝利は数えるほどで、かど番は5度とお世辞にも強い大関とは言えなかった。それでも周囲の注目度は私の想像をはるかに上回るものだった。千秋楽翌日は在京スポーツ紙6紙のうち5紙が1面で報じ、テレビのワイドショーも大々的に紹介。数年前まで不祥事が続いた角界が久しぶりに明るい話題で脚光を浴びた。外国人全盛が続く昨今の大相撲だからこそ、脇役に甘んじてきた本家の日本勢による勝利は相当なインパクトがあった。満面に笑みを浮かべ、日馬富士が譲った東支度部屋の一番奥に座る琴奨菊の姿には感慨深いものがあった。私は他競技の取材による2場所の不在を除けば、56度も外国勢の万歳三唱を見てきた。あえて国籍は明かさないが、マナーが悪く、入りきれない人数に膨れ上がった団体がどっと支度部屋に押し寄せることは恒例行事。「ホーム」であるはずの日本人力士が肩身を狭そうにして着替える姿は痛々しかった。

ただ今回はこんな声も渦巻いた。「国技を支えたのは外国人力士」「あまり歓喜に浸るような表現は差別と捉えられる」。同じ土俵に上がれば国籍は関係ない、一人の力士の頑張りとして冷静にとらえるべきだといった意味だろう。ただ土俵の周辺はそれほど大上段に構えず、久しぶりの日本勢優勝を素直に祝福していた。ブルガリア出身の大関琴欧洲と同時に琴奨菊を指導し、常に弟子思いで温厚な佐渡ケ嶽親方(元関脇琴ノ若)もその一人。「やっぱり日本人力士が優勝したら、これだけ多くの人が喜んでくれるんだ」と、結果的に盛り上がった今場所へのおおらかな感想を口にしていた。

大相撲は国技であると同時にプロスポーツであり、娯楽でもある。物事を斜めから見ず、もっとシンプルに楽しめばいいと思う。2005年に日本国籍を取得したモンゴル出身の大島親方(元関脇旭天鵬)でさえも「日本人が頑張らないと大相撲は面白くない。モンゴルでもそういう報道が多いし、俺らも同じ考えだよ」と、あえてモンゴル人の立場になって「俺ら」と言った。10年という歳月は長くて重い。それほどの期間を経て、日本出身力士が優勝したのだ。あまり複雑に考えず「日本のお相撲さんが久々に勝ったんだね」と単純に受け止めてはどうだろうか。15年以上も大相撲の現場で取材をしている私の感覚では、外国人力士はただ純粋に目の前の勝負に燃えている。自分たちにも日本人力士と変わらぬ声援を送ってほしいという感情を、「ただ勝ちたい」という闘争心がはるかに上回っている。だから朝青龍や白鵬という類いまれな力士が生まれたのだと思う。

五輪で日本選手が金メダルを獲得すれば国民的関心事になる。次の日本人力士優勝者が孤独に闘う大関稀勢の里ならばどうか。悪いことではないが、琴奨菊は自らの結婚式に一門も初土俵時期も異なる白鵬を招いたようにモンゴル勢との距離は遠くない。だが、稀勢の里は外国勢だけでなく、大半の日本人力士とも必要以上に交わらない。そんな男が優勝に迫れば、土俵はかつてない雰囲気に包まれるのではないか。期待を長年裏切り続けながら、根強いファンが一向に減らないのは、この大関が醸し出す緊張感がたまらないのだろう。無口で不器用な稀勢の里が賜杯を抱き、それこそ10年以上分の涙を流す瞬間が訪れたら…。さまざまな意見を超越し、もっと大きな歓喜が訪れるような気がする。

田井 弘幸(たい・ひろゆき)1973年生まれ。大阪府出身。96年に共同通信入社。大相撲担当からプロ野球の阪神、中日担当を経て2002年から大相撲、柔道などを担当。