プロ野球が2月1日から一斉にキャンプイン。日本ハムは米アリゾナ州ピオリアで約2週間の海外キャンプをスタートさせた。

日本ハムの海外キャンプは1987年のフロリダ以来29年ぶりで、プロ野球の海外キャンプは2007年のロッテのオーストラリア以来となる。

最近では国内キャンプ地の施設充実もあり、海外に出掛ける球団はほぼなくなっていた。キャンプ地は沖縄か宮崎に集中するが、沖縄県には9球団が1カ月あるいは半月間キャンプを張る。日本ハムも中旬から沖縄で2次キャンプを行う。

▽沖縄キャンプのパイオニア

温暖地沖縄の2月は雨が多くキャンプ地としては不向きとされたが、日本ハムが1978年に初めて名護市で投手陣だけのキャンプを行った。

沖縄経済の底上げもあり、徐々に室内練習場の整備などが行われ「キャンプ地銀座」となった。沖縄県の高校野球のレベルが格段に上がったのは副産物だった。

沖縄キャンプのパイオニアである日本ハムがキャンプ地移転に踏み切った理由が名護市営球場の老朽化。長年の付き合いなのになぜうまくいかなかったのだろうか。

名護に限らず日本のキャンプ地はおおむね狭い土地につくられた施設だ。ピオリアのように6面のグラウンドなどは夢のまた夢で、日本では誘致自治体と球団が一緒になって工夫するしかないのが現状だろう。

▽巨人V9はベロビーチから

日本ハムの竹田憲宗球団社長は「新たな環境の変化が刺激となってチームの強化につながり、選手の成長を促す」と狙いを話す。施設問題が発端とはいえ、栗山監督にすれば2012年のリーグ優勝以降、やや停滞気味のチームを変えたいきっかけにしたいだろう。

海外キャンプのメリットは温暖な地で思い切り練習ができ、また「刺激」や「勉強の場」になること。メジャー野球に触れることで選手の意識を変えた好例は1961年の巨人のベロビーチ・キャンプだろう。

巨人監督に就任した川上哲治氏がドジャースのキャンプ地フロリダに乗り込み、バント処理などでのチームプレーの重要性を説いた「ドジャースの戦法」をドジャースのコーチから直接教えてもらったのである。これがその後のプロ野球の戦術を大きく変えることになり、巨人は9年連続日本一という金字塔を打ち立てた。

▽長嶋、広岡監督も海外好き

1975年、巨人の監督になった長嶋茂雄氏もベロビーチでスタートを切ったのは、それなりの思い入れがあったからだろう。

日本と違って“雑音"も少なく抜群の環境でそれこそ「1年の計はキャンプにあり」を実践できる場だった。巨人は81年まで計5度、ベロビーチを使った。

ヤクルト監督だった広岡達朗氏は1978年にアリゾナ・ユマをキャンプ地にした。その年いきなり日本一になったことも他球団に影響を与えたと思う。

雨がほとんど降らないアリゾナ州は今でもフロリダと並ぶメジャーの2大キャンプ地である。

余談だが、ドジャースも今ではベロビーチからアリゾナにキャンプ地を移している。

米本土でのキャンプ全盛期は1980年~90年代にかけてで、私も80年のヤクルトと84年の西武で2度、アリゾナを訪れた。

▽ヤクルトはユマで22年間

ヤクルトは1999年までユマでキャンプを張った。ヤクルト本社が海外で挙げた収益の一部をキャンプ費用に充てることで国内より安上がりになると聞いたことがある。

84年のメサ・キャンプは西武の監督として2年連続日本一となっていた広岡氏の要望によって実現した。西武の海外キャンプといえば、球団を持った79年に国内のキャンプ地が間に合わず、根本陸夫監督らはフロリダ・ブレンデントンでキャンプ。

オープン戦は主にメジャー相手に行われ、開幕直前に帰国して公式戦に臨むという奇抜な「球団戦略」も開幕12連敗を喫するなど、急ごしらえの海外キャンプの付けが回ってきた。

▽広島にルーツ監督誕生

これまで阪神、広島、中日、ロッテなども米本土で行うなど、ほぼ全球団に海外キャンプ経験がある。

時代とともにハワイやグアム、サイパンなどの温かい気候のもとでの鍛錬・調整が主になっていったが、例えば広島は唯一の海外キャンプが球団の大きなターニングポイントになったものだ。

広島は1972年にアリゾナ・ツーソンでキャンプしたが、このときインディアンスのコーチだったルーツ氏(2008年死去)に教えを受けた。これが縁でコーチを経て75年に監督に就任。開幕わずか15試合で審判とのトラブルから退団したが、その後、古葉竹識監督で念願の初優勝を果たした。

ルーツ氏は監督になるや、赤を基調とした戦うユニホームに替え、衣笠祥雄氏を一塁から三塁にコンバートし、大下剛氏を日本ハムから獲得してチームリーダーに据えた。

日本人監督なら尻込みしそうな大胆さでひ弱なチームを変えた。

巨人や広島に限らず、海外キャンプで米球団と関係を築き大物外人選手を獲得した例は多くある。

ただ、日本人選手がメジャーで活躍する時代となり、また多くの情報に接する今日では、日本野球を大きく変えるような海外キャンプは想像できない。

▽結果として大谷プレゼン

今回の日本ハムの米キャンプは、図らずも米球界が注目する大谷翔平を「披露する場」になる。

プロ入り4年目を迎える大谷は昨年、投手として最多勝、防御率、勝率の3冠に輝き、11月の国際大会「プレミア12」でも実力を見せつけた。

高校卒業時に米球界入りを希望したのは知れ渡っている。日本ハムも入団交渉の中でメジャー行きへの工程表を示し「日本で何年間かやった方が早く行ける」と説得した経緯がある。大谷のメジャー行きは既定路線でもある。

折しも米球界ではポスティングシステム(入札制度)の改定の年で、日本球団への譲渡金の上限金額問題なども議題になると見られている。

米球団にとっては、居ながらにして「酷使されていない若い右腕」を見られる絶好の機会。大谷とメジャーの距離がさらに接近するのは間違いない。

田坂貢二[たさか・こうじ]のプロフィル

1945年広島県生まれ。共同通信では東京、大阪を中心に長年プロ野球を取材。編集委員、広島支局長を務める。現在は大学野球を取材。ノンフィクション「球界地図を変えた男 根本陸夫」(共著)等を執筆