実力、結果がすべてとも言えるプロ野球界で自ら引き際を決められる選手は一部に限られる。広島の黒田博樹投手は「本当にぜいたくでわがままかも分からない」と前置きしてから言った。「引退した方が絶対に楽。この体でもう1年野球をやるというのはしんどいこと。逃げようと思えば逃げられていたのかなと思う。でも、やるしかなかった」。悩み抜いた末の現役続行だった。

2015年10月7日のシーズン最終戦後「完全燃焼」の言葉を残し、家族のいる米国に戻った。球団に去就を伝えたのは12月8日。約2カ月かかった。8年ぶりに日本に復帰した昨季は11勝8敗、防御率2・55。41歳になる今季も十分にプレーできると思える成績を残した。速球は150キロをマークし、「フロントドア」や「バックドア」に象徴される投球術も健在。若手投手にとって生きた教材でもあるベテラン右腕だが、すぐに去就を決められなかった。常に「最後の1球」との思いを持ってマウンドに上がる。だからオフに悩むのは毎年のこと。これまでとの違いは選択肢が二つに減ったことだろう。「やるか、やらないか。どこで野球をするかではない」。現役か引退か。揺れ動く胸中が、取材に対する答えや表情ににじみ出た。

シーズン後に初めて報道陣の前に姿を見せたのは11月24日だった。明言こそしなかったが「自分なりに考えることは考えた」とはっきりと言った。表情は明るく、口調からも現役を続ける意志を固めたように思えた。ただ、その6日後には逆の印象を持つことになる。11月30日。現役を続ける上で重要なのは心技体の心だと説き「体を動かすのも心。トレーニングをしていても身が入らない」と少しやつれた表情で口にした。もう1年プレーするには昨季を超えるモチベーションが必要で「今、探している」とも。その口ぶりからは今季のユニホーム姿を全く想像できなかった。「野球人生最高のモチベーション」で帰ってきたという昨季を超えるものが何なのか、僕には全く思いつかなかった。

12月17日に現役最高の推定年俸6億円で契約を更改した。モチベーションについて「探すということは、どこかでもう1年やりたい、やらないといけないという気持ちがあったということ」と説明。自らの思いに正直に従って導き出した結論だった。

大雪にも見舞われた2014年12月。僕が広島に赴任した10日後に黒田の古巣復帰は決まった。米大リーグで必要とされる状況で日本球界に戻る。そんな投手に対し、最初は自分から距離を取っていた気がする。ただ取材を重ねていくうちに、その魅力に取り込まれた。質問には常に丁寧に応じ、時には報道陣が戸惑うほどの冗談を真顔で言うのだから。

昨年8月だった。ナゴヤドームで行われたナイターの中日戦で黒田の右手にライナーが直撃。試合後は「大丈夫だと思うけど、明日にならないと分からない」とコメントした。広島に戻る可能性があったため、僕は翌朝5時半に選手宿舎へ向かった。出てくるかも分からないまま、ロビーで待つこと3時間。キャリーバッグを引いて降りてきた右腕は、数人の記者の存在に驚きながら真摯に対応してくれた。眠気も疲れも一気に吹っ飛んだ。「もっと取材したい」と心から思わせる選手。もう1年、そんな男を追えることを幸せに思う。

岡田 康幹(おかだ・やすき)2010年共同通信社入社。本社運動部から同年12月に福岡運動部へ異動し、大相撲やプロ野球ソフトバンクを取材。2014年12月からは広島でカープ担当。1985生まれ。東京都文京区出身。