グループリーグを3戦全勝の首位通過。リオデジャネイロ五輪の予選を兼ねるU―23(23歳以下)アジア選手権のB組で、日本はこれ以上ない戦いぶりを見せた。グループ内での一番の難敵と思われた北朝鮮との初戦を1―0で勝てたことで、その後の展開は日本にとって面白いほど有利に動いた。4チームのグループリーグで、これだけ楽な状況になることは稀だというほどに。

続いて戦ったタイを4―0で破り、2連勝で決勝トーナメント進出が決定。その数時間後に北朝鮮とサウジアラビアが引き分けたことで、日本の首位通過も確定した。サウジアラビアとの第3戦の結果がどうなっても、A組2位と激突する準々決勝の試合予定が変わることはない。真剣勝負のアジア最終予選で、テストと調整を行える極上の消化試合が生まれるのは、そうそうないことだ。

ただ、日本サッカーがアジアで苦杯をなめ続けてきたJリーグ発足以前からの“旧人類"ファンは、物事があまりにもうまく運ぶと逆に心配になる。心配事の一つが、負ければすべてが終わってしまう決勝トーナメントを前に「今回のチームの精神的タフネスさはどのくらいのものだろうか」という疑問だ。ハートの強さを測りかねるのだ。

チームの強さは、選手個人の持つ技術やチームの戦術だけでなく、「肝っ玉の太さ」という要素にもかなり大きく影響される。そして、この肝っ玉というものは修羅場をくぐり抜ければくぐり抜けるほど太くなる。それを思えば、今大会の日本は心理的に追い詰められた状況でプレーしたことは一切ない。常に先制点を奪っているからだ。ぜいたくな話だが、プレッシャーと無縁でプレーしているのが逆に気に掛かるのだ。

確かに、北朝鮮との初戦を前に多少の緊張感はあっただろう。ただ、試合開始5分という早い時間帯で先制点を奪えたことで、心理的には楽になった。第2戦のタイ戦も2点をリードした場面でPKのピンチがあったが、それも相手のミスで切り抜けた。「2―0のスコアが一番危ない」という世界でも稀な独特のサッカー感を持つ日本人の精神構造を考えれば、あのPKが決まって1点差にされた恐怖感を味わっていたほうが良かったのではないかとも思う。そして、ぜいたくな消化試合を2―1で制したサウジアラビア戦だ。

B組の3試合で、7得点1失点。許した1点も理解不可能の判定によるPKで失ったものだ。それを考えれば、グループリーグの日本はほぼ完璧に近い戦いぶりだった。ただ、その素晴らしい足跡も残念ながら一度リセットされてしまう。トーナメントに持ち越せるアドバンテージは何もないのだ。逆に、いままで考えもしなかった「負ければそこで終わり」という責任感を伴う恐怖が、選手たちの心を確実に襲ってくる。

サウジアラビア戦後、手倉森誠監督は決勝トーナメントを「しびれる試合」と表現していた。ワールドカップ(W杯)予選や五輪予選がホームアンドアウェー方式のリーグ戦を採用するようになってから、このような緊張感ある予選は久しぶりだ。トーナメントの場合、いくら相手を圧倒していようが、一回のミスですべてが終わりかねない。そしてこの「しびれ感」は、日本がW杯初出場を決めた1997年11月16日のマレーシア・ジョホールバルでの一戦と共通している。

98年W杯フランス大会。あの当時のアジア出場枠も3カ国(4位チームはオセアニア代表とのプレーオフ)だった。そして、アジアの第3代表をマレーシア最南端の都市で日本と争ったのが、準々決勝の対戦相手となるイランだった。

今回、日本が五輪出場権を手にするにはイラン戦を含め、2度の勝利が必要となる。そして、準々決勝さえ突破すれば、もう二つ戦えることになる。求められるもう一回の勝利は、準決勝でも3位決定戦でも構わない。今大会はU―23アジア選手権という意味ではタイトルマッチだが、五輪予選という視点から見れば決勝戦は消化試合だ。本当に大切なものは、準決勝と3位決定戦にある。

準決勝に進めば、例え一度失敗を犯しても挽回するチャンスが生まれる。そのボーナス付きの権利を得るために、どうしてもイランを破らなければならない。内容は美しくなくても、試合終了時に勝利という結果さえ手元にあればいいのだ。

選手たちにとっては、いままでにないプレッシャーが掛る試合になるだろう。ただ、イランの監督の名前を見て、ちょっとだけ笑顔が出た。モハマド・ハクプール。あのジョホールバルのピッチで、イランの背番号4をつけていたDFだ。彼の脳裏には、現在は廃止されたため、W杯出場を決めたものとしては唯一となった「ゴールデンゴール(延長Vゴール)」を決められた記憶とともに、日本に対しての苦手意識がどこかに残っているはずだ。これは日本にとっては吉兆か。大一番のキックオフは日本時間の22日夜10時半。ただ、ただ勝利だけを祈っている。

岩崎龍一(いわさき・りゅういち)のプロフィル サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材はブラジル大会で6大会連続となる。