プロ野球の楽天が誕生した2005年、チームは38勝97敗1分という悲惨な結果に終わった。そして、球団創立から9年目の13年にチームはともに初となるリーグ優勝と日本一に輝いた。しかし、翌14年、そして今年と2年連続でチームは最下位に沈んでいる。チームスポーツにおいて、勝ち続けることは本当に難しいものだ。そんな勝負の非情さを改めて痛感したのが今季、F1に復帰したホンダだったのではないだろうか。

筆者は先日、フェラーリでタイヤ開発のディレクターを務めていた浜島裕英氏と食事をともにする機会を得た。さまざまなことが話題に上がったが、その中心は自ずとホンダに。そこで浜島氏が語ったのは、勝負の非情さを肌で感じることの重要さだった。

「僕はホンダの第2期(1983~92年)を直接知っているわけじゃないけれど、話に聞いたのは、ホンダは開発スタッフをどんどん現場に送り込んでいたということですね。勝負の世界の最前線にいると、勝ち負けへのこだわりというか、勝者と敗者の姿を直接見て、勝負の厳しさを肌で感じていたと思うんです。それがあったからこそ、日本側のエンジニアも必死になった。今年のホンダというか、日本の開発ベースとなっている、さくら研究所で働くエンジニアがそうした感覚を感じているのか、そこが今後飛躍できるかのポイントな気がします」

筆者はホンダの第3期(2000~08年)を取材者として目の当たりにしたが、まったく同感だ。第3期のホンダは、マシンとエンジン双方を手がける「オール・ホンダ」で挑んだ。加えて、本格参戦以前にも「無限ホンダ」という形でエンジニアが最前線にいたこともあり、勝負の厳しさをスタッフはかみしめていたと思う。それと比較すると、今回の挑戦はマクラーレンとのコラボレーション。このため、現場のスタッフ数は第3期とは比較にならないほど少ないうえに、6年間のブランクはホンダといえども簡単には埋まらないほど厳しかった。シーズン前に抱いていた「(9月下旬の)日本GPあたりでは表彰台を争いたい」という展望とは裏腹に、冒頭に書いた楽天のような惨敗を味わった。

今季19戦で16勝とライバルチームを圧倒したメルセデスを追いかけるのは容易ではない。だが、彼らも周到に準備した上で、数年をかけて現在の成功を手にした。浜島氏の言うように、開発を担うホンダの「さくら研究所」(栃木県さくら市)のエンジニアが、周囲からの批判に耐え、そして発奮材料にしながら、勝負の非情さを感じ続けることこそが、マクラーレン・ホンダ復活への最短の道かもしれない。(モータージャーナリスト・田口浩次)