リオデジャネイロ五輪開幕まで10か月を切った。世界各地で予選が行われ、厳しい戦いが繰り広げられている。国内でも代表切符を懸けた選考会が実施される中、注目されるのが競歩界の「世界最速男」の復帰だ。

今夏、北京で開催された陸上の世界選手権。日本勢で最も金メダルに近いとみられていたのが男子20キロ競歩で世界記録を保持する鈴木雄介(富士通)だった。自身も大会前から金メダル獲得を目標に掲げていた。だが、鮮やかな「サンライズレッド」のユニホームに身を包んだ鈴木がレース途中でコースを外れた時には衝撃を受けた。

鈴木が一躍脚光を浴びるきっかけとなったのが1時間16分36秒の世界記録をマークした3月の全日本競歩能美大会だった。もともと礼儀正しく、取材対応は丁寧な選手だ。表彰式が行われたコース近くのグラウンドで次から次へと記者に囲まれ、同じような質問を繰り返し聞かれながらも嫌な顔をすることなく応じていた。思えばこのレース直後から鈴木には選手としてだけではなく、『広報官』として競技を広めるという使命感がより強くなったのではないかと思う。

世界記録樹立後、殺到する取材依頼を可能な限りすべて受けたという。1日に複数社のインタビューをこなし、競歩のアピールに努めた。そんな多忙な日々を過ごして臨んだ世界選手権で途中棄権する要因となったのが股関節痛だった。レース後には「取材に時間をあてすぎた」という言葉が注目を集めた。ストレッチなど体のケアへの時間が削られ、柔軟性を欠いたことで故障が発生したという。その場に立ち会った身として伝えたいのは、彼はこのコメントを自ら言い訳として切り出した訳ではないということだ。大勢のマスコミに囲まれながら故障の原因を尋ねられ、ややうつむきながらその理由を口にしたときの複雑な表情は今でも覚えている。

10月25日に山形県高畠町で行われた男子50キロ競歩の高畠大会を取材した。昨年の開会式後の選手への取材は有力選手2人とソファで向き合いながら、たった1人で行ったと記憶している。ことしはリオの選考レースとはいえ、複数社が駆けつけて会見のひな壇まで用意されていた。彼が競歩の知名度アップのために取り組んできた地道な活動は確実に実を結び、わずかな期間で競歩への注目度が格段に高まったとあらためて感じた瞬間だった。

指導する富士通の今村文男コーチによると股関節の痛みは治まり、自転車やプールの中での運動を再開しているという。11月に再び診察を受け、その結果によって本格的に練習を再開していく予定だ。男子20キロ競歩の選考レースは来年2月の日本選手権20キロ競歩と3月の全日本競歩能美大会。鈴木がどう復活劇を演じるのか注目したい。

鈴木 敦史(すずき・あつし)1980年生まれ。北海道出身。2005年共同通信入社。07年からプロ野球オリックス、広島を担当。11年から遊軍、DeNA担当を経て、13年12月からバスケットボール、陸上などを取材。