ロンドン・パラリンピックから3年余りがたったが、パラリンピック・スポーツを取り巻く環境はずいぶん変わってきた。2020年東京パラリンピック開催が決まったことが大きく影響しているだろうし、国の施策として五輪とパラリンピックを並列の事象としてとらえ、五輪と同じように支援していこうという流れができあがってきていることは間違いない。スポーツ庁が設置され、「五輪・パラリンピック」という表現はもはや常識となった。ただ、来年のリオデジャネイロ大会出場を目指している選手たちを取材する中で、最近感じるのは企業に支えられているという点だ。

2004年アテネ大会をピークに、日本のパラリンピックでの成績は大会ごとに下降線をたどっている。ロンドン大会で選手たちから話を聞かせてもらうと、「このままでは世界から取り残される」など、他国に比べて劣る競技環境に対する不安や危機感が次から次へとあふれた。それが今はどうだろう。「○△社様のおかげで競技に打ち込めている」「会社の応援が力になっている」。3年前にはほとんど聞かれなかった言葉だ。車いすテニス男子で世界のトップに長く君臨し、プロ選手としていち早く活動を始めた国枝慎吾選手(ユニクロ)は「契約社員として雇ってもらい、実際は出勤せずに競技に打ち込むという形態が増えているのは日本の強みと思う。海外は国の支援が充実しているが、企業が個人を支援するという体制は日本ほどない」と話していた。

実際に日本障がい者スポーツ協会のスポンサーは激増しており、選手の所属先を見れば大企業の名前が連なる。17日まで千葉市で行われた車いすバスケットボールのアジア・オセアニア選手権の冠スポンサーには三菱電機、29日からの車いすラグビーのアジア・オセアニア選手権には三菱商事がそれぞれ大会をサポート。「社員教育の一環」「支援を必要としているのは五輪よりもパラリンピック」という理由をよく耳にするが、ある企業の担当者からは「メディア、とりわけテレビでの露出が増えてきているのは大きい」との本音も。

車いすバスケットボールのアジア・オセアニア選手権の取材陣の多さには驚いた。ロンドン大会前との大きな違いはテレビカメラの台数だ。リオ・パラリンピックの出場権が懸かっていたとはいえ、五輪予選並みだった。ある選手が3、4年前に「新聞のスポーツ面に記事が載って、テレビではスポーツニュースとして扱われる日がいつか来てほしい」とつぶやいていたことを思い出した。

リオ大会前で注目が一気に高まり、そして5年後の東京大会に向けてさらに注目度とともに選手としての価値もどんどん高まっていくだろう。ただ、その盛り上がりは20年東京大会がピークになることは間違いない。一記者に言われるまでもないことだろうが、一過性のブームにとどまらせたくはない。選手の皆さんにはその先を見据えて自分の価値を高めること、つまりは競技力の向上に努めてほしい。

パラリンピック・スポーツに興味を持って会場に足を運ぶ人は確実に増えてきている。9月の視覚障害者らによる5人制サッカー(ブラインドサッカー)アジア選手権は有料にもかかわらず、日本戦は千人を超える観客が集まった。スポーツとしての魅力を多くの人に存分に知らしめてほしいと切に願っている。

那須 歩(なす・あゆむ)1980年生まれ、新潟市出身。2005年に共同通信に入社。岐阜支局で警察、名古屋支社で司法などを担当し、12年3月から本社運動部でスキー、水泳、体操などを担当。