第97回全国高校野球選手権大会は20日、幕を下ろした。大会創設100年を迎えた節目の大会は例年以上の盛り上がりを見せた。話題をさらったのは何と言っても早実(西東京)の1年生スラッガー、清宮幸太郎選手であった。2本塁打を含み、19打数9安打8打点、打率4割7分4厘という獅子奮迅の活躍。本塁打の弾道はもちろん、準々決勝の九州国際大付(福岡)戦で見せた逆方向の左中間に飛んだフェンス直撃の二塁打は衝撃的で、バックネット裏の記者席では、回りの記者とともに私も「これは、本物や…」の言葉が自然と口をついて出た。

そして、試合終了後、われわれ報道陣は彼の豊富な表現力に接し、本塁打の軌道以上に毎度驚かされることになった。取材エリアで清宮選手の回りには常にメディアによる四重、五重の人垣ができた。16歳の高校生が発したとはとても思えない、試合後のコメントを一部紹介する。

「甲子園が楽しい。不思議な力をもらえる。自分の世界をつくれている」(今治西との初戦終了後)

「映画みたい。これからの人生でかけがえのない1本になります」(東海大甲府戦での初本塁打後)

「生まれ変わって、もう1回野球ができるなら、また上級生の皆さんと野球がしたいです」(準決勝、仙台育英に敗退後)。

特に、最後の談話は、周りの選手たちとともにむせび泣くなか、発した言葉である。最後の夏が終わった直後、普通の高校生は、気持ちを言葉でうまく表現できないことが多い。下級生なら「また絶対、甲子園に戻ってきます」の紋切り型の一言で終わることが常である。清宮選手はラグビートップリーグ、ヤマハ発動機で監督を務める父・克幸さんから「一般の選手と同じようなことを言うな」と指導されているそうだが、ここまで独特な表現ができるのは並大抵のことではない。いわゆる「見出し」をとれない月並みな言葉を並べるばかりのプロスポーツの指導者も多いが、清宮君は天性の長打力とともに、人並み外れた「コメント力」を持ち合わせている。

私は、その光景を見ながら、「遼くんと同じ…」と既視感を感じた。遼くんとはもちろん、高校時代に賞金王を獲得したプロゴルフの石川遼選手のことである。

スポーツ紙から共同通信に転職した後、2009年~10年までゴルフ担当として、当時大ブレークした石川選手を取材した。中国、韓国、マスターズ・トーナメントと約1年間、国内ツアーだけでなく、海外でも密着する生活を過ごした。石川選手も同じような状況に置かれて、何十回となく同じ質問をされても、使い古された言い回しを選ばない。「遼くん、何でそんなに話せるの?」と聞いたら、「ゴルフ場にいる時間が長く、昔から大人と話す機会が多かったからですかね」と説明した。清宮選手も父の関係で一流のアスリートをはじめとした大人と接することが多く、感性が磨かれていったそうだ。

甲子園出場最初のチャンスである1年夏でここまで活躍し、清宮選手は現時点で、過去のどの選手よりも大きなスケールを示したと感じる。あくまで個人的な予想だが、このまま順調な成長曲線をたどれば、メジャーリーグの本塁打王を取る可能性も十分にあると思っている。

清宮選手がプロ野球を席巻する存在となり、本人が夢に掲げる「世界を代表するバッター」となったとき、われわれ日本人は「十代のころから知っている、国民の息子、弟」のような愛着を持って見るのではないか。フィギュアスケートの浅田真央選手に対するものと同じような感情で、世界で戦う姿を応援するような気がする。となると、心配されるのは過剰取材で潰されないか、という点だ。テレビ局を含め、われわれメディアは一高校生である清宮選手の一挙手一投足を追い掛けるだろう。今大会の開幕試合で始球式を行った早実の大先輩、ソフトバンク王貞治会長は「お手柔らかに頼みますよ。育ててやってくださいね」とおっしゃった。王さんらしい、優しさにあふれた表現だと感じた。

西東京大会で、多くのテレビカメラに囲まれるなか、清宮選手は「これから、こういう環境でやっていかなきゃいけない人間だと思っている」と言った。スター選手の宿命と既に受け止めているが、われわれもプレーや練習に影響を与えるような報道は慎むべきだろう。清宮選手だけではないが、自戒を込めつつ、記しておきたい。

三木 智隆(みき・ともたか)1978年生まれ。奈良県北葛城郡出身。スポーツ紙での7年間の勤務を経て2009年に共同通信へ。ゴルフ、陸上などを担当し、ロンドン五輪、ソチパラリンピック取材。14年5月に大阪運動部へ移り、高校野球を中心に担当。