「勝利」の2文字が何より求められる、特別なユニホームというものがある。そのユニホームを着たら、内容は必ずしも重要ではない。欲をいえば、良い内容で勝利することに越したことはないのだが…。ともかく、代表チームが最優先するものは勝利だと個人的には思っている。

代表のユニホームは、大会でメンバー入りした選手だけのものではない。すべての競技に共通しているが、その国が築き上げてきたスポーツの歴史そのものを現す。栄光の陰にある苦しい時代を耐え忍んだ、先人たちの思いが刻まれた心の支え―。国旗のついた1枚のシャツには、スポーツにおけるその国のアイデンティティーが染み込んでいる。

中国・武漢で東アジア・カップが開催されている。ここまで、女子の「なでしこジャパン」は北朝鮮と韓国に連敗。男子の「サムライブルー」は北朝鮮に敗れ、韓国とは引き分けて1分け1敗。いまだ日本は未勝利だ。

とはいえ、なでしこは狙いがはっきりしているのでまだ納得できる。準優勝した女子W杯の直後で、来年のリオデジャネイロ五輪予選を間近に控えた時期だけに、本大会を見据えた新戦力発掘を最大の目的にしている。結果に一喜一憂してもあまり意味がないのだ。

問題は、心に伝わるものを何も発信できていない男子だ。「サムライ」を名乗りながらも、今回の選手たちからは武士(もののふ)の矜持といったものがまるで感じられない。本当の武士なら、たとえ刺し違えても、相手を倒そうとするはずなのだが。

かつて、代表のユニホームを着るということは特別な名誉だった。選ばれし者だからこそ、どんなに苦しくても最後まで戦い抜けた。その心構えは、海外組がわずか4人だった2010年南アフリカW杯の日本代表までは確実にあった。そう思う。

しかし、その後の海外組急増を受けて日本代表のハードルは急激に下がった。東アジア・カップのように、―クラブが選手の招集を拒否できない―国際Aマッチデーではない日程で行われる大会や試合は国内組で構成されることが多くなるため、本来は“2軍相当"の選手たちが国際Aキャップの数を積み重ねていくことになるのだ。選手にチャンスを与え、上のレベルを目指させる動機づけとしては悪くはない。ただ、日本代表が数多く誕生したことで、国を代表するという気構えも軽くなった気がする。

多くのチャンスを作りながらも決め切れず、逆転負けを喫した北朝鮮戦。その姿はアジア予選で敗退を繰り返す年代別の日本代表と重なった。一方、北朝鮮の選手は目的が勝利だと知っていた。だから、単純ながら日本に対して優位に立てる空中戦を選択したのだ。

日本も以前は、この勝ち方を知っていた。1988年ソウル五輪の最終予選。広州で行われたアウェーの中国戦で勝利を収めたのが、まさにこのやり方だった。圧倒的に攻め込まれたなかで、ワンチャンスを生かした「黄金のヘッド」。それを中国ゴールに沈めたのが、日本協会の原博実専務理事だった。

思い返すと、あのときは「内容は」などと講釈をたれる人はいなかった。そう、多くの人が理解していたのだ。代表チームに求められるのが何より「結果」だということを。

5日の韓国戦。2年ぶりとなった宿敵との対戦は史上まれに見る凡戦だった。例え、技術的に問題があっても、これまでの日韓戦には見るべきものが必ずあった。技術がダメならフィジカルでという、ライバルならではの闘争心が生む激しさがあったからだ。

残念ながら、今回はその激しさすらなかった。韓国の先発には現役の3人を含め、6人のJリーグ経験者が名を連ねた。そのボールをつなぐサッカーに歩調を合わせた日本との試合は、メリハリに欠けた退屈さでJリーグの中位チーム同士の対戦に似ていた。近年のJリーグの光景が、そのまま武漢に場所を移したようだった。

それにしても、終盤の日本はなぜ、韓国ゴールを強引にこじ開けようとしなかっただろう。これはタイトルの懸かった大会。韓国に勝たないと連覇の可能性がなくなるのだ。それを行動に移さないのは、監督ではなく選手に大きな問題がある。ひいては、このような意識の選手を育ててきた日本の育成システムそのものに問題があるのではないだろうか。

今回の日本代表“B"チームは、想像以上に期待外れだった。特にハートの面で。きっと多くの誇り高き日本代表OBが、戦わないチームに不満を持ったのではないだろうか。

「冗談じゃないよ!」

かつて「10番」を背負った誇り高き、そして、とびきり怖いあの人の、脳天に突き刺さる甲高い声が聞こえてきそうだ。

岩崎龍一[いわさき・りゅういち]のプロフィル

サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材はブラジル大会で6大会連続となる。