マリナーズの岩隈久志投手が8月12日のオリオールズ戦で、メジャー今季4人目のノーヒットノーランを達成した。日本人投手としては1996年と2001年の野茂英雄氏以来2人目の快挙で、ア・リーグ西地区で低迷するマリナーズのファンを大喜びさせた。

その岩隈の口から出たのは「一歩一歩前進して頑張っている東北の皆さんに、一つ勇気を与えられたりしたのかなって思います」という言葉。楽天時代の7年間を過ごした「東北への思い」が今も岩隈の中で大きな比重を占めているのだ。

▽自ら楽天球団へ

東京生まれの岩隈は東京・堀越高から1999年のドラフト会議5位で近鉄に入団。190センチの長身を生かし2年目での4勝後、2003、04年に各15勝を挙げた。

その近鉄が04年オフのオリックスとの合併でいったんはオリックスに所属したが、その年の球界再編騒動で生まれた新球団の楽天に岩隈は自らが希望して移籍した。

楽天・三木谷浩史オーナーとの個人的関係など、さまざまな理由が取りざたされたが、いずれにしても11年に起こった東日本大震災が、岩隈のその後の野球人生に大きな影響を与えたことは間違いない。

▽思い起こさせる松井秀喜氏

メジャー入り後もことあるごとに被災地に足を運び、三陸には彼がGMを務める草野球チームがある。東北とともに歩もうとする、この決意はどこから生まれてきたのだろうか。厚い信仰心があるのかもしれないし、育った家庭環境がそうさせているのかもしれない。

岩隈の喜怒哀楽を表に出さない姿は、個性豊かなメジャーの中でも異彩を放っている。

今回の快挙達成にマリナーズの投手コーチは「感情を表に出さず文句も言わずに、仕事を続けるクマだから喜びは倍増」と目を潤ませたという。

何事にも寛容な姿勢を貫く元ヤンキースの松井秀喜氏が宗教家の家に育ったこともその一因だと思っているが、もの静かで笑顔を絶やさない岩隈にも同じように一本太い背骨があると感じる。

▽ポスティングでなくFAで

楽天時代の08年に21勝を挙げ最多勝、勝率、防御率のタイトルに加えチームは5位ながらMVPに選ばれ、沢村賞投手となった。メジャーが触手を伸ばすのは時間の問題だった。ただ、すんなりとはいかなかった。

10年オフ、岩隈はポスティング(入札)制度で交渉権のあったアスレチックスと4年約12億円で入団交渉したが決裂。これに日本プロ野球選手会はアスレチックスが岩隈を他球団にいかせたくない思惑から、あえて低い条件を提示したと抗議の声を上げた。

翌年には西武・中島裕之内野手がヤンキースとのポスティングでの契約交渉が不成立に終わったことで、その疑いが濃くなり、同制度が曲がり角に来ていることを示した。

一度はメジャー行きを断念した岩隈と中島(アスレチックス―現オリックス)は1年後にFAを使ってメジャー入りしている。

▽新ポスティング制度

田中将大投手がヤンキースと7年総額161億円で入団したのは、新しいポスティング制度によるものだった。

イチローに始まり岩隈や中島のように、最高入札額の1球団に独占交渉権を与えるのではなく、条件をクリアした獲得希望球団と自由に交渉できた。

田中を希望したのは最終的に7球団あった。まあ、金持ち球団が有利なのは変わらないが、こうしたポスティング制度の見直しの根底には獲得資金をできるだけ抑えたいというメジャー側の思惑がある。

来年末にも制度の見直しをするというが、日本球界の意見は反映されるのだろうか。

▽伊良部が引き金に

ポスティング制度が生み出されたのは97年に伊良部秀輝氏がヤンキース入りしたときの騒動が引き金だった。

95年に野茂氏が近鉄を「任意引退選手」のままでドジャース入りしたのに続き、伊良部氏がロッテにパドレス行きを認めさせ、実を取る形でパドレスが伊良部の希望通りヤ軍への三角トレードを成立させた。これにメジャーの他球団が異議を唱え、入札制度を作ったのである。

それにしてもメジャー組織が「任意引退」の野茂氏をよく受け入れたものだと、今さらながら思う。

選手を自由にさせない「保留条項」は日米の球団側とも命綱みたいなものだったからだ。考えられるのは、メジャーではすでにフリーエージェント(FA)制を選手側が権利として勝ち取っており「保留条項」にぽっかり大きな穴が開いていたことがある。そうでなければ、日本と比べて自分たちの権益にうるさいメジャーのオーナー連中が黙っているわけがない。

こうした日米の球界を熟知した人間がいて双方を手玉に取った。多くの日本人選手をメジャーに送り込んでいる代理人、団野村氏だ。

▽米球史に刻んだ岩隈と東北

岩隈のノーヒットノーラン試合は、メジャー42勝目だった。

34歳という年齢もさることながら、この試合がメジャーでの初完投試合というから驚かされた。さらに今季は背中を痛め戦列を離れていたから本人はほっとしたことだろう。

日米の本格的選手交流から20年が経つ。その先駆けとなった野茂氏以来となる快記録達成で米球界に刻まれたのが「岩隈」と「東北」である。

田坂貢二[たさか・こうじ]のプロフィル

1945年広島県生まれ。共同通信では東京、大阪を中心に長年プロ野球を取材。編集委員、広島支局長を務める。現在は大学野球を取材。ノンフィクション「球界地図を変えた男 根本陸夫」(共著)等を執筆