2020年7月24日に開幕する東京五輪。本番まであと5年を切ったが、メーンスタジアムとなる新国立競技場の建設計画は巨額のコストに批判が高まり、白紙撤回された。混迷が一層深まり、責任のなすりつけ合いが続く中、目に映るのは政治に翻弄されるスポーツの姿だ。

政府が計画見直しを正式表明したのは7月17日だった。安全保障関連法案の強行採決で世論からも厳しい批判を浴びていた時期。内閣支持率も下落の傾向が如実に現れていた。2520億円以上にも達するコストを見直す機会はこれまでもあったはずで、このタイミングでの決断はまさに政治的。安倍晋三首相は10日の衆院特別委員会で、デザイン変更は困難との認識を示していただけに、突然の方針転換には正直言って驚いた。しかし、盤石な政権運営を続けている状況なら、見直しには踏み切らなかっただろうと思う。世論の批判をかわすため、首相のこだわりが強く、決して譲れない安保法案の代わりとして差し出されたのが、新国立競技場計画の見直し表明だったのではないか。

日本でスポーツが政治に左右されるのは今に始まったことではない。象徴的なのが1980年モスクワ五輪。東西冷戦下の79年、ソ連軍がアフガニスタンに侵攻し、これに反発した米国の主導で、日本もボイコットに追い込まれた。柔道の山下泰裕、レスリングの高田裕司ら多くの選手が出場の夢を絶たれた歴史は、今でもスポーツ界に影を落とす。今回の東京五輪招致の際も、経済波及効果を見込み、政権浮揚につなげたい安倍首相の思惑が随所にのぞいた。東京開催が決まった13年9月の国際オリンピック委員会(IOC)総会(ブエノスアイレス)では、懸念されていた東京電力福島第1原発の汚染水漏れ問題について、首相はプレゼンテーションで「状況はコントロールされている」と断言。政府トップの発言が招致を成功に導いた一方で、現状にはほど遠い説明に、被災地を中心に大きな反発を呼んだ。

五輪はスポーツの祭典であるはずなのに、スポーツ界が置き去りにされている―。「新たな日本のスポーツの聖地」として期待されている新国立競技場をめぐる経緯を振り返れば、その思いは強くなる。7月7日に行われた有識者会議では、一部を仮設席とする方針に対し、日本サッカー協会の小倉純二名誉会長は「常設8万席でないとワールドカップ(W杯)の誘致ができない」と訴えた。事業主体の日本スポーツ振興センター(JSC)の幹部は「(W杯開催の)レギュレーションを十分認識できていなかったかもしれない」と弁明した。陸上競技では国際大会開催に必要なサブトラックの整備も見通しが立っていない。東京五輪では「アスリートファースト(選手第一)」を掲げているが、当事者であるはずのスポーツ界の意見がどこまで反映されていたのか。外観のインパクトばかりが重視され、実際に使う選手や競技団体のことが、おざなりにされてきた印象は強い。

自国開催の五輪はスポーツにとって、魅力をアピールし、環境を整備するまたとないチャンスであると同時に、将来像を考えるいいきっかけでもある。だからこそ、スポーツ界ももっと積極的に声を上げてほしい。沈黙は「金」ではない。議論を深め、みんなが納得できる形で5年後を迎えられるように、多くの意見発信を期待したい。

益吉数正(ますよし・かずまさ)1981年生まれ。宮崎県出身。2005年共同通信入社。千葉、甲府、福岡の支社局で警察などを担当後、大阪運動部を経て、13年2月から本社運動部。プロ野球の遊軍を2年間担当し、15年12月からスキーや陸上競技などを取材。