大混戦のセも面白いが、パの高打率による首位打者争いから目が離せない。

7月15日現在、西武・秋山が3割8分3厘ならソフトバンクの柳田が3割7分3厘。同じ一本足打法。柳田が交流戦でセの度肝を抜いた「フルスイング」での飛距離で売り出し中なら、秋山は広角打法で安打を量産し阪神・マートンが持つ214本のシーズン最多安打更新の期待がかかる活躍ぶりだ。

▽知名度アップ

西武で秋山と言えば、これまでなら清原和博氏との「AK」コンビだった秋山幸二氏だったろうが、いまは背番号「55」の秋山翔吾だろう。

秋山が続けていた連続試合安打は7月14日の楽天戦で歴代3位の「31」で止まった。

プロ野球記録の高橋慶彦氏(広島)の33試合、パ記録の長池徳二氏(阪急)の32試合には及ばなかったが、左打者(高橋氏は両打ち)としては張本勲氏(巨人)と福本豊氏(阪急)の30試合を上回り球史に名を刻んだことになる。

▽5年目で打撃開眼

連続試合安打もさることながら、秋山の特長は固め打ちだ。31試合連続期間中の打率は4割5分7厘で、3安打以上の「猛打賞」が10度を数えたが、これまで猛打賞は通算20試合もある。しばらくは日本人では初の打率4割の夢を見せてほしい。

八戸大からドラフト3位で2011年に入団した秋山のシーズン最高打率は2年目の2割9分3厘。3年目の144試合152安打が最多だが、今季は85試合で139安打。まさに打撃開眼したのである。

バットのグリップの位置を下げ、レベルスイングにすることでミートポイントが広がった。さらに一本足の上げ方も、若干ゆったりしたように思う。

▽子ども誕生で精神的成長

12歳の時に父親が亡くなり母親に育てられた家庭環境も、そのまじめな野球への取り組みと無縁ではない。

ただ、これまではそのまじめさゆえにコーチのアドバイスなどを全て聞くことから迷いが生じていたと思われる。その秋山が精神的に成長できたのは、昨年生まれた子どもがきっかけだと、本人が言っている。

成長を物語るのが31で連続試合安打が止まった楽天戦。リードしていた西武が九回に追い付かれ、それまで4打席無安打の秋山にチャンスが回ってきた。「正直、ヒットを打ちたいと思った」。しかし、延長十回の5打席目はフルカウントから四球。「打てない球は振れない。自分勝手な打席にはしたくない」と試合後、晴れやかに振り返った。

▽多くなった一本足打法

日本人選手の打撃フォームもかなり個性的になっている。その代表例が近年増えてきた一本足打法ではないだろうか。踏み出す足をちょっと上げてタイミングを取る打者は昔からいたが、王貞治氏に代表されるように長い間足を上げる打者はそういなかった。いまでは実に多くの打者がやっている。

王氏が一本足打法に取り組んだきっかけは、打つときヒッチする悪い癖を直すためだった。

1962年、王選手がプロ入り4年目のこと。ヒッチとは打者が打つときテークバックの姿勢に入るが、ここから一挙動にバットを振り下ろせばいいのだが、ここでもう一度テークバックすることをいう。これでは振り遅れる。

王氏の一本足打法を編み出した当時の巨人コーチの荒川博氏はテークバックの姿勢での片足立ちをやって見せた。

王氏は「回想」という回顧録で「びっくりしたが、片足立ちでヒッチしようとしたら捕手側に倒れる」と書いている。奇想天外な発想から「世界の王」が生まれたことになる。

▽田淵復活も一本足打法

阪神時代に王氏から本塁打王を奪った田淵幸一氏が西武で復活できたのも一本足打法を完成させたからだ。

タイミングを狂わそうとする投手に対応するべく、打つときに降ろしかけた足を我慢して留める「2段構え」だった。下半身を鍛え直したからできた技だった。

タイミングを取る、遠く飛ばしたい、と一本足打法の理由はさまざまだと思う。私が学生時代に目の前で見た一本足打法は1964年。南海(現ソフトバンク)にいた元メジャーのジョニー・ローガン。1年で帰国したから、よほどの野球ファンでないと覚えていないだろう。

ワールドシリーズと日本シリーズ両方で本塁打した数少ない選手だが、野球をやっていた私には「こんな打法があるのか」とびっくりした記憶しかない。

田坂貢二[たさか・こうじ]のプロフィル

1945年広島県生まれ。共同通信では東京、大阪を中心に長年プロ野球を取材。編集委員、広島支局長を務める。現在は大学野球を取材。ノンフィクション「球界地図を変えた男 根本陸夫」(共著)等を執筆