「タッチポイント」「カニバリゼーション」「バンドワゴン効果」「キャズム」―。スポーツの現場ではなじみの薄い単語の数々。すべてマーケティング用語なのだが、これらが飛び交っているのが日本相撲協会の事務所である。5月24日終了の夏場所は19年ぶりに15日間を通して大入りになるなど、大相撲の人気回復が加速している。日本人横綱も誕生せず、優勝はモンゴル勢ばかり。「何でこんなにお客さんが入っているか、正直分からない」と驚く親方衆もいると聞くが、きちんと理由が分かっている人たちもいる。

大相撲の中心にあるのはもちろん、力士たちが命懸けで闘う土俵だ。白熱した攻防は見ている人の心を打ち、館内は拍手や声援に包まれるが、2010年の野球賭博問題、11年の八百長問題と前代未聞の不祥事が続いてイメージダウン。客足は大きく遠のいた。

一部の職員らは立て直しに向け、マーケティング理論を取り入れた。その一環で来場者へのアンケートで相撲界への要望を尋ねたり、スポーツ観戦の動向を研究したりして策を練った。その結果、相撲界に必要なのは、世間への多角的な働き掛け(タッチポイント)で親近感を熟成させ、観戦へのきっかけをつくることだと導き出した。短文投稿サイトのツイッターや無料通信アプリ「LINE(ライン)」による情報発信、力士に子どもを抱いてもらったり、親方と記念撮影できたりする特典付き入場券の販売など多岐にわたった。ターゲットに向けて適切なファンサービスを提案したことが受け、客層の新規開拓に成功。ある女性職員は「お客様を奪い合うカニバリ(ゼーション)を起こさないように、企画を考えていかないといけません」と説明する。

初めて両国国技館に赴いた観客からは「相撲の敷居が低くなった印象で来やすくなった」「力士を身近に感じられ興味が湧いた」と好評。協会ナンバー2の八角事業部長(元横綱北勝海)は「どん底を経験したからこそ、思い切ったことができるようになった」と認める。近寄りがたかった角界の印象とは一線を画すような、斬新なアイデアが続出した。

相撲は「国技」だけあって、日本人力士の頑張りが共感を呼びやすい。遠藤の快進撃は注目度アップの要因となった。根強くあるのが和製力士の横綱誕生や優勝待望論で、実現すれば盛り上がりに拍車がかかることは間違いない。一方で、モンゴル勢の天下が続いても関心度が増したように、外国出身力士が人気回復の一躍を担っているのは事実だ。好角家の俳優、松重豊さんを昨年インタビューした際に「昔、外国人力士は体が大きいだけかなと思っていた。でもモンゴルから来た人たちは動けるし、相撲を面白くしてくれた。感謝しかない」と熱く語っていたのを思い出す。われわれ報道する側はとかく日本人力士に目を奪われがちだが、ファンは多様な関心を持っている点も忘れてはなるまい。

盛況について協会では、土俵の充実をベースに、不祥事の後に初観戦した人たちが再び来場していることや、メジャーな行事があると周囲も参加したがる現象(バンドワゴン効果)も相まっているとの分析がある。きっかけづくりから次のステップに進んだという。

だからといって、今後の安泰が約束されているわけではないし、気になる話もある。集客が戻ったとの理由で、「赤ちゃん抱っこ」など、協会上層部がいくつかのファンサービスを控えるようになったと耳にした。ある職員は、市場への新製品の浸透を研究した「キャズム」という考え方を引き合いに出し「成長期と成熟期の間には深い溝があるとの理論がある」と危機感を口にする。長期的な国技の隆盛を見据えると、“待ったなし"の取り組みが必要だ。

高村 收(たかむら・おさむ)1973年生まれ。山口県出身。大相撲、ラグビーなどを経て03年からはゴルフを取材。その後、大相撲担当も兼ね10年からキャップに。14年12月からデスク。