この結果を試合前に予測していた人は、さしずめ「6億円当選」といったところか。対戦したシンガポールのシュタンゲ監督が「期待されていない結果を生み出した。センセーションだった」と語っていたが、まさにそう。めったに見られるものではなかった。

FIFA(国際サッカー連盟)ランキング52位の日本に対し、シンガポールは154位。スキャンダルでいまや“悪名高き"FIFAに加盟する国・地域は209だから、シンガポールはお世辞にも強いとはいえない。その格下のチームにW杯予選の初戦の緊張感があったとはいえ、日本代表が0―0で引き分けたことは大いなる驚きだった。

こんなにびっくりさせられたのは、1996年のアトランタ五輪で日本がブラジルを破った「マイアミの奇跡」以来。少なくともW杯本大会で日本がドイツやブラジルと引き分ける以上の驚きだろう。客観的に見ても日本とシンガポールの実力差は、それぐらいあったはずだ。

試合後の会見でハリルホジッチ監督は「非難するなら私を非難してほしい。選手はプロテクトしなければならない」と語っていた。確かに「ダメな時は監督の責任、勝った時は選手のお手柄」という考え方はチーム運営としての正論だ。ただし、プレーしているのはあくまでも選手。しかもプロなのだから、日本代表のユニホームを着る限り当然責任も生じる。結果が伴わなければ批判されることも受け入れなければいけないのが代表選手だ。

それにしても、日本代表はなんて学習能力がないのだろうというのが正直な感想だ。ちょうど1年前、ザッケローニ体制下で戦ったW杯ブラジル大会のギリシャ戦。そして、アギーレ前監督の下で戦った今年1月のアジアカップ準々決勝のUAE戦。攻めに攻めても勝つことができないのは、この日のシンガポール戦と同じだ。監督が代わり、戦い方が変わっても、結局変えられないもの。それは、柔軟性だ。「自分たちの戦い方」を展開できるときはいいが、それから少しでも外れると手詰まりになる。相手や状況に合わせるということがなぜ、できないのだろう。メンバーの多くは欧州のクラブで、それなりの活躍を見せているはずなのだが。

本田圭佑は「むこうのGKが当たっていた」と語っていた。確かにシンガポールのGKイズワンは好プレーを連発したが、それは国際試合を戦えるレベルのGKが、国際試合にふさわしいプレーをしただけ。GKレベルの劣るアジアでは、それも稀なことなのだが。いわゆるスーパーセーブといわれるプレーは、後半10分の岡崎慎司のヘディングシュートをストップした場面ぐらいだろう。

前線に1人を残し、残り10人が自陣に引き籠って守備を固める。今回初めてアジア予選を戦う訳ではないのだから、対戦相手がそのような戦略をとるのは十分に分かっていたはずだ。そんなシンガポールを相手に、ハリルホジッチ監督が「縦」への攻めを強調するからといって、なんの疑いもなく縦パスばかりを通そうとする。その先にはスペースもなければコースもない。しかも、個の技術では日本より劣るとはいえ、相手も国を代表する選手。そんなに簡単にゴールをこじ開けられるはずはない。

相手がゴール前に張りついたら、ミドルやロングレンジからのシュートで相手を前に引き出す。そして空いたスペースを狙う。中学生でも知っているセオリーだ。しかし、この試合でそんな場面が何回あっただろうか。ほとんど印象に残っていない。

唯一可能性を感じさせたのは、ゴール前に単純に上げられた高いボールのCK。前半38分の槙野智章、後半22分の本田とヘディングで決定機を作り出した。それなのに、なぜか低い弾道のボールを蹴ってみたり、無意味なショートコーナーを選択してみたりと理解しがたいプレーが続く。その独りよがりなサッカーを見ていると、日本の選手は相手が嫌がるプレーをするよりも、自分がやりたいプレーのほうが大切なのかなと思えてくる。

教え好きの監督に、従順に学ぶことが得意な選手たち。ハリルホジッチ監督と日本人選手の相性はかなりいいのではないかというのが正直な感想だ。ただ、あまりにも教えられ過ぎると、日本人はそれしかしないということを指揮官は分かっているのだろうが。

サッカーというスポーツは、ある程度の決まり事の上に、各自の自己判断を積み上げていくスポーツだと思う。そして時には監督の意思に反したプレーをしてでも、状況に応じてゴールをこじ開けることが必要になる。そこには当然、自己責任も伴うのだが。その柔軟な判断力を身につけていかなければ、日本サッカーの進化はない。その意味でシンガポール戦はいい教訓になった。この試合、負けた訳ではない。

岩崎龍一[いわさき・りゅういち]のプロフィル

サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材はブラジル大会で6大会連続となる。