安藤梢が左足首を骨折。経験豊富なアタッカーの負傷離脱は、長期にわたる大会を考えるとあまりにも痛い。ただ、なでしこジャパンにとっての大きな不運は、それと同価値の大きな幸運と引き換えだったといえる。

日本がディフェンディング・チャンピオンとして臨むサッカー女子W杯カナダ大会。初戦となった1次リーグC組、スイス戦の前半27分だった。縦パスを受けた大儀見優季が反転してDFラインの裏側に浮き球のパス。これに連動して抜け出したのが安藤だった。GKタールマンと1対1の局面。飛び出してきた相手の上を抜くループシュートを放った直後に、両者が激しく接触した。

倒れ込む安藤とタールマン。次の瞬間、主審が指さしたのはペナルティースポット。日本がPKを獲得したのだ。一連の流れからみれば、確かに「PKかな」というプレーだった。ただ、ビデオ再生を見ると安藤のシュートしたボールをタールマンは手で触っている。その後の接触なので、これは明らかな判定ミスだ。もちろん、日本とってはとてもありがたいことなのだが。しかもタールマンは同時にイエローカードを受けている。「これではGKなんてやってられない」。それが彼女の正直な感想だったはずだ。

ともあれ、スイスにとって不運な判定は、日本にとってはこれ以上ないチャンスとなった。どのような大会でも、初戦というのは難しい展開になるものだ。加えて、世界王者であるがゆえの重圧。さらには、相手はC組では一番の強敵と目されるスイスだ。選手たちが「勝たなければ」という精神的な負担を強く感じていたとしても不思議ではない。

なぜなら、このグループを1位で突破すれば、決勝トーナメントではFIFAランキング4位の日本より上位で、1位通過が有力視されるドイツ、米国、フランスとは違うブロックに入ることになる。つまり、決勝まで当たらないのだ。連覇を狙う上では、このより有利な状況を自分の手で作り上げたほうがいいに決まっている。そのためにも先制点はどうしても手に入れたいものだったはずだ。

ゴールラインから約11メートル離れた位置にあるペナルティースポット。そこにボールをセットするキャプテン宮間あやの度胸のよさにはつくづく驚かされる。佐々木則夫監督も「決めなきゃいけないぶんプレッシャーがある」とインタビューで語っていたが、PKは考える時間が長いほどプレッシャーが増幅する。安藤の治療に時間がかかったこともあり、キックまでにはかなりの間があった。それをいとも簡単に決め切るのだから、恐るべき精神力の持ち主だ。結果、前半29分のこの得点が決勝点となった。

サッカーを少しでも経験したことがある人なら分かるだろうが、PKのときに右足インサイドキックで左側をグラウンダーで狙うシュートはかなり難しい。少しでも引っ掛けた蹴り方をすると、ボールが左サイドに切れていく可能性が高いのだ。浮かせた場合と違いグラウンダーのシュートはより正確なボールへのインパクトが必要になる。それを重圧のなかで繰り出さなければならないのだ。

考えてみれば、なでしこジャパンには男子には存在しないワールドクラスの選手が複数いる。その代表格が宮間だ。とくにセットプレーのキックの精度に関しては、男子に例えるならば元イングランド代表の人気選手ベッカム級であるのだから、PKを決めるのは当たり前といえば当たり前なのだが。

それにしても、試合展開は危なかった。前半こそ安心して見られたが、後半はいつ同点に追いつかれてもおかしくない状況だった。中でも相手FWバッハマンの突破力は脅威だった。後半ロスタイムに有吉佐織のクリアミスを、そのバッハマンに拾われてフリーで打たれたシュート。あれがゴール上に外れたというのも、この日の運は日本に味方していたという証拠だろう。

すべての大会にいえるのだが、グループリーグの初戦は、内容よりも勝ち点3を得ることが大切。そのノルマを果たしても、あれこれ注文が付くのは、それだけ彼女らに対する期待が高いからだろう。

4年前、東日本大震災で悲しみに沈む日本にこれ以上ない勇気と希望を与えてくれた、なでしこジャパン。初の世界チャンピオンへと駆け上がる第一歩となったグループリーグの初戦ニュージーランド戦も同様だった。2―1で勝利したとはいえ、内容的には低調だった。それを考えれば、グループリーグは手堅く、勝負をかけるのは決勝トーナメントに入ってから、となるのだろうか。

安藤という貴重な戦力は確かに失った。ただ、それによりチームの精神的結束は、さらに高まったはずだ。前回大会もそうだったが、誰か思いを寄せる人のために戦ったときの大和なでしこたちは無類の強さを発揮する。そのことを、私たちは知っている。

岩崎龍一[いわさき・りゅういち]のプロフィル

サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材はブラジル大会で6大会連続となる。