5月30日、田中恒成(畑中)が、世界ボクシング機構(WBO)ミニマム級王座決定戦でフリアン・イエドラス(メキシコ)を判定で破り、日本選手最速のプロ5戦目で世界王座を奪った。

驚異的な数字といえるが、歴史を振り返るとスピード記録に挑んだ名選手が浮かんでくる。名誉を求めたドラマが多くの感動を呼んだ。

衝撃的な世界奪取だったのが1976年10月の具志堅用高(協栄)だろう。わずか9戦目で世界ボクシング協会(WBA)ライトフライ級王者フアン・グスマン(ドミニカ)に挑んだ。

具志堅はアマ時代からエリートコースを走ってきたが、この試合は苦戦が予想された。グスマンは21勝(15KO)1敗の抜群の実績を誇り、“小型フォアマン"と呼ばれた強打者。具志堅も8勝(5KO)と不敗を続けていたが、王者の評価が実に高かった。

ところが劣勢の声をはね返す。具志堅は前半からスピードで圧倒、7回KO勝ちで鮮やかに頂点に立った。この日から「9」という数字が大きな目標となる。

その後、「具志堅の壁」はなかなか破られなかったが、“浪速のジョー"こと辰吉丈一郎(大阪帝拳)は91年9月、世界ボクシング評議会(WBC)バンタム級王者グレグ・リチャードソン(米国)を10回終了TKOで破り「8戦目」で王座に就き、ついに具志堅の記録を抜いた。辰吉の秀でたボクシングセンスが光り輝いた。

この8戦目の更新には20年もかかった。2011年2月、井岡一翔(井岡)は「7戦目」でWBCミニマム級王座を獲得、新たな歴史を築いた。井岡は攻防のバランスが良く、勝負根性も持ち合わせている。

しかし、記録は破られるためにある。14年4月、井上尚弥(大橋)は何と「6戦目」でWBCライトフライ級王座を奪った。怪物のネーミングにふさわしい天才的なコンビネーションは圧巻だ。

この記録は当分、破られないと見られていたが、わずか1年1カ月後に更新されるとは思わなかった。田中は岐阜・中京高時代に国体制覇など高校4冠に輝いたほどの逸材で、陣営では13年11月のプロデビュー時から最速記録を視野に入れていた。

早くも追われる立場となった田中が、試練の道をどう乗り越えていくのか。6月15日で20歳。あふれるほどの素質が、さらに開花することを待ちたいと思う。(津江章二)