今ではプロ野球とアマチュアチームの試合は珍しくない。プロの2軍と社会人チームなどが“日常的"に交流しているのは知っていたが、それでも、6月29日に神宮球場で行われた大学日本代表とNPB(日本野球機構)選抜の試合を見ながら、プロとアマの関係が「やっと正常化したんだ」と、あらためて実感した。

大学スポーツの祭典、ユニバーシアード夏季大会(7月・韓国)に出場する「侍ジャパン大学日本代表」の壮行試合としてプロ2軍の若手選手と対戦した。

プロが3―2で勝ったが、2番手で登板した創価大3年生の田中正義投手が7連続三振を奪うなど4イニングを完璧に抑え、一躍脚光を浴びた。

▽鮮烈デビュー

創価高時代は甲子園出場がなかった田中が、全国大会に鮮烈デビューしたのは昨年6月の全日本大学選手権。150キロ半ばの球速以上に「怖い」と感じさせる剛速球を投げ、関大から阪急(現オリックス)に入団して活躍した山口高志・現阪神コーチや伊良部秀輝、古くは尾崎行雄(ともに故人)氏を思い起こさせた。

1年ぶりに見た田中はコントロールがよくなっていた。もう少し荒削りな方がいいかな、と思いながらも、打者に向かう強い気持ちが出ていて、186センチの大型右腕は確実に成長していた。

順調にいけば、来年のドラフトの目玉になるのは間違いない。

▽大学に少ない大型打者

田中のようにプロ入りしてもすぐ通用しそうな大学出身投手はこれまでも多くいた。いわゆる即戦力である。難しいのが打者で、将来の長距離打者と期待できそうな逸材は大学野球界ではなかなかいない。

大学日本代表で4番を打つ早大4年の茂木栄五郎内野手は、今春のリーグ戦で5本塁打するなど優勝に大きく貢献したが、いわゆる「好打者」の部類に入るタイプと思っている。

歴代の新人王を見ても圧倒的に投手が多い。野手の新人王はセは2010年の巨人・長野、パでは1998年の西武・小関まで遡らないといけない。こうした「投高打低」の傾向は野球の特性とも言える。

大学出身の本塁打者では、誰を思い浮かべるだろうか。通算本塁打400本以上を記録しているのは18人いるが、そのうち大学出身は536本の山本浩二を筆頭に金本知憲、田淵幸一、長嶋茂雄、小久保裕紀各氏しかいない。

勝敗を度外視して大型打者を育てる余裕は大学にはないし、そうした指導者に恵まれていないのだろう。特に打者育成の面ではプロ、アマ交流が深まれば必ず結果が出ると期待している。

▽柳川事件

日本の野球界を振り返るとき「柳川事件」を抜きにしては語れない。長い間、プロとアマの関係を断裂させた出来事だったからだ。

50年以上前の1961年、中日がプロと社会人野球の間の協定を破る形で日本生命の柳川福三外野手と契約、入団させたことが発端だった。

それまではプロ退団者が社会人でプレーすることも多かったし、徳島・池田高の蔦文也監督や大阪・明星高の真田重蔵監督のようにプロOBが甲子園大会を制するなど、高校野球の指導者になることも自由だった。柳川事件以来、さまざまな交流が途絶え、1990年代まで両者の「雪解け」は進まなかった。

かつてのオリンピックでもアマチュアリズムをことさら強調したのだから、なにも日本の野球界だけのことではなかったかもしれないが、親子や兄弟がプロとアマというだけでキャッチボールもできないという、笑うに笑えない話は日本独特だった。

▽プロの責任

プロ野球がアマ選手に小遣いと称して金銭を渡していたのが大きな問題となったのは7、8年ほど前だった。もちろん、アマ選手にも問題意識が欠如していたのだが、やはりプロ野球側に責任がある。気を緩めると、こうした問題はすぐに再発する。

こうした監視と素早い対応はプロ野球コミッショナーの大きな役割だと思っている。柳川事件の前には、アマ選手がプロ球団と二重契約を結ぶ不祥事は結構あった。金銭が絡むとそうなる。

当時の第3代コミッショナー内村祐之氏は二重契約問題を起こした高校生選手に対し「いかに未成年だとしても、18歳を超え成人に近いのだから」と直接に自覚を促したそうだ。

巨人V9の基礎となった「ドジャース戦法」を訳した内村氏は野球通で知られた。プロ選手の新人研修制度などを提案し、当時の球団オーナーたちが拒否すると、わずか1期3年で球界を去った。惜しまれたコミッショナーの一人だった。

田坂貢二[たさか・こうじ]のプロフィル

1945年広島県生まれ。共同通信では東京、大阪を中心に長年プロ野球を取材。編集委員、広島支局長を務める。現在は大学野球を取材。ノンフィクション「球界地図を変えた男 根本陸夫」(共著)等を執筆