どのようなレベルの大会であっても、公式大会の初戦というのは独特の緊張感があるものだ。いまやワールドカップ(W杯)の本大会で勝つことが目標になった日本。過去最多4回の優勝を誇る前回大会王者にしても、たとえ舞台がアジアだとしても簡単な戦いとはいえそうにない。

日本は過去7回アジアカップの本大会に出場している。1988年大会に臨んだのはB代表だったので国際Aマッチにはカウントされていない。それ以降、広島で開催された1992年大会からA代表が出場しているのだが、過去6大会の初戦を見るといつも苦しんでいる。

4度のチャンピオンになりながらも初戦に限れば3勝3引き分け。3勝のうち2試合が1点差ゲームと、楽勝といえたのは2000年レバノン大会のサウジアラビアに4―1の勝利を収めた試合だけだ。ヨルダンを相手にした前回の2011年大会は、アディショナルタイムに吉田麻也が劇的なヘディングを決めて負け試合を辛くも1―1の引き分けに持ち込んだ。東南アジア共同開催となった2007年大会でも、カタールと1―1での引き分けスタートだった。

オーストラリア大会での初戦となった1月12日のパレスチナ戦は、その意味で組み合わせに恵まれたというのが正直な感想だった。アジアカップ初出場のパレスチナは、未知なチームの不気味さはあったが、ふたを開けてみると、日本が近年戦うことのまれな低レベルのチームだった。

開始直後から選手個々の持つ技量の差は明白。勝って当たり前の力関係だった。危険なのはむやみにボールを持ち過ぎて、相手の激しいタックルでケガをすることだけ。激しさはあるが、サッカーとして未熟なチームを相手に、日本は多くのことを試すことのできる機会だったはずなのだが。

ただ、相手のレベルが劣るからといって、いつでも点が取れるわけではない。特に力関係で大きな差のある日本を相手にした場合、アジアのチームは間違いなく守備を固めてくる。ゴール前に人数をかけてスペースとシュートコースを消された場合、そう簡単に点は奪えるものではない。パレスチナ側からすれば無失点の時間をどれだけ引き延ばせるのか。日本が苦戦するかどうかの分かれ目だった。

しかし、心配も杞憂に終わった。日本に精神的落ち着きを与えたのは、遠藤保仁の試合の流れを見る目と正確なキックの技術。34歳のベテランが、いまだ代えの利かない日本の頭脳であることを証明した。

前半8分、目の前にスペースが空くと遠藤は左サイドの乾貴士にボールを要求。右足のワンタッチで持ち出すと、25メートルの距離から迷いなく右足を振り抜いた。

芝生が雨でぬれてグラウンダーのボールは、予想以上に球足を速くする。遠藤も「ピッチがスリッピーだったので」と語っていたが、さすがの狙いだった。ただ、あの距離からのグラウンダーのボールに対し、セービングしても届かないコースを空けていたGKサレハの中途半端なポジショニングに助けられた面はある。Jリーグの水準なら大半のGKは失点にまでは至らなかっただろう。それでもシュート打つことで、なにかが起こるということを選手たちは感じただろう。

前半25分、香川真司の強烈なシュートに岡崎慎司が驚異的な反応。ヘディングシュートで2点目を奪った時点で勝負は決した。その後、本田圭佑のPK、吉田のヘディングで追加点を挙げ4―0。後半13分に遠藤はお役御免になった。

気になったのは遠藤が退いたとたんに、日本のゲームをコントロールするリズムが失われたことだ。かつては中田英寿、小野伸二、小笠原満男など、ピッチ全体をふかんしゲームを創造できるマエストロの宝庫といわれた日本。しかし、気がつけば現在のチームには遠藤しかいない。後継者としては柴崎岳が目されるが、遠藤に代わるコンダクターを早急に育てなければ、W杯常連国とはいえども苦しい時期が訪れることは目に見えている。

問題はこれだけではなかった。アギーレ監督の打った交代策がまったくといっていいほど効果がなかったことだ。出場時間の短かった豊田陽平はまだしも、武藤嘉紀はほとんど持ち味を発揮できなかったし、清武弘嗣も格下相手に違いを見せることができなかった。ザッケローニ監督が指揮した前回大会の李忠成、細貝萌、伊野波雅彦の交代策が絵に描いたように当たったという面はあるが、交代出場の選手がチームに新たな勢いを与えられなければ、長いトーナメントを勝ち進むのは難しいだろう。

欲をいえば切りがないが、結果的に無理をすることなく初戦で勝ち点3を手に入れたことはよかったのかもしれない。現在の日本のチーム力は、アジアのなかでは頭一つ抜けている。だからといってタイトルマッチとは楽に勝てるものでもない。その意味で日本の真価が問われるのは、2大会前の王者と対戦する16日のイラク戦からだろう。心配なのはケガだけ。審判のレベルも関係するのだが、フィジカルコンタクトの激しさは、ある意味でW杯以上であることを覚悟しておかなければならない。

岩崎龍一[いわさき・りゅういち]のプロフィル

サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材はブラジル大会で6大会連続となる。