ロイヤルボックスでの表彰式を、ピッチから感慨深げに見上げるひとつの影。首には、チームカラーである青と黒のマフラーがかけられていた。2005年にJ1清水エスパルスで監督業をスタートさせて、今年で通算8シーズン目。指揮官の表情は、とても誇らしげだった。

ガンバ大阪の長谷川健太監督が、指導者としてトップディビジョンでの初のタイトルを獲得した。11月8日に行われたヤマザキ・ナビスコカップ決勝。サンフレッチェ広島に2点のリードを許しながらも、3連続ゴールを奪って、まるで劇画のような逆転勝利を飾った。

0―2のビハインドをひっくり返しての勝利。サッカーの試合では、そうあるものではない。だからこそ観衆の心をひきつける、魅力的な試合内容になったのではないだろうか。

「サッカーは2―0のスコアが一番危ない」と持論を力説する人がいるが、個人的にはそうは思わない。確かに1点を返されて2―1となれば、それまで楽勝と思っていた試合が、心理的に急にプレッシャーの掛かる状態となる。それでも3点を奪われない限り敗戦はないのだから、大きなリードだ。

ましてはこの日、決勝で対戦した両チームはプロ。多くの修羅場をくぐり抜けた選手たちが、そう簡単に心を乱すとは思えない。それを考えれば、少なくとも決勝戦のガンバは広島より優れていたということだろう。

帰宅して見直した録画には映ってはいなかったが、表彰式後にほほ笑ましい一場面があった。ガンバの選手たちがピッチに戻ると、キャプテンの遠藤保仁が優勝カップを長谷川監督に手渡したのだ。「監督としての初タイトルでしょう」と指揮官にカップを掲げることを促したのだ。だが長谷川監督は、はにかんだ笑みを見せてカップを選手たちの元に戻した。

記者会見でその場面について問われると、照れもあって掲げなかったのだという。それでも「帰ったらゆっくりと眺めます」と言いながら見せた長谷川監督の表情は、これまでに見たことのない温和なものだった。

その人の歴史のすべてを見ている訳ではないので、当然違う側面もあるだろう。ただ個人的に長谷川監督のイメージといえば、しかめっ面しか思い浮かばない。

「原体験」は、いまから30年以上前にさかのぼる。当時、僕は駆け出しのサッカー記者たった。そしてあの頃の日本サッカーの主役は、日本代表ではなく、高校サッカーだった。

第62回全国高校サッカー選手権。1984年1月8日に国立競技場で行われた清水東対帝京の決勝戦は、高校サッカー史上最多となる6万2千人(当時は実数計算はしなかった)の観衆を集めた。そればかりか場外には、入場できなかった数多くのファンが、あふれ返っていた。

前年度に韮崎(山梨)を4―1で下し初優勝を飾った清水東(静岡)。連覇を狙ったチームには、3年生となった長谷川監督とともに、「清水の三羽がらす」と呼ばれた大榎克己(現清水エスパルス監督)、堀池巧、さらにこの大会で得点王に輝いた1年生の武田修宏と、超高校級の選手がそろっていた。

一方の帝京(東京)には、後に横浜フリューゲルスで活躍する前田治がいるものの、下馬評では清水東の圧倒的有利をうたわれていた。

結果は帝京が1―0の勝利。高校サッカー史に残る、前田の美しいボレーシュートが決勝点だった。準決勝までの4試合で19得点と圧倒的な攻撃力を見せた清水東の攻撃陣は不発に終わったのだ。不本意な準優勝に長谷川監督は、ぶぜんとした表情を見せていたことが、いまでも印象に残っている。

大一番で失意の結果に終わり、笑みを奪われる。ドーハの悲劇、1999年のジュビロ磐田とのチャンピオンシップなど、僕が足を運んだ現場では、常に長谷川監督は悲しそうな顔をしていたような気がする。

確かに日本リーグ時代は、日産自動車で88年から2年連続の3冠(リーグ、天皇杯、JSL杯)という輝かしい大記録を残しているの。だが、なぜか自分の記憶からは長谷川監督の喜びの表情は抜け落ちている。

裏を返せば、長谷川監督が喫してきた敗戦というのは、日本のサッカー史にとってもインパクトが強いものだったのだろう。

その「負の歴史」は指導者になってからも続いた。清水の監督として臨んだ3度のカップ・ファイナル。天皇杯2度、ナビスコカップ1度と、そのすべてに敗れ去っていた。

今シーズン、長谷川監督率いるガンバは、J1、天皇杯も含め、3冠を狙える状況でシーズン終盤を迎えた。しかし、ナビスコカップ決勝の前半で広島に2点をリードされた時点で「無冠に終わるのではないか」という不安が少なからずともよぎった。ネガティブなその考えが無用の心配に終わったことは、なによりも長谷川監督本人にとって良い結末だった。

初優勝の壁を乗り越えるのは、思いのほか難しいみたいだ。それはワールドカップ(W杯)で3度の決勝に進出しながらも、いまだ優勝のないオランダを見ても分かる。逆に、一度頂点を極めたチームは2度目の勝ち方を知っている。それを考えれば、長谷川監督の2度目タイトルは、案外早く訪れるのかもしれない。

常にしかめっ面のイメージが覆された11月8日。30年の歳月を経て、長谷川健太という人物の笑顔が、初めて美しいものだと気づかされた特別な日になった。とにかく「おめでとう」の一言を、僕のサッカー記者歴とともに歩んでくれた長谷川監督に贈りたい。

岩崎龍一[いわさき・りゅういち]のプロフィル

サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材はブラジル大会で6大会連続となる。