携帯電話から聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「GGです。引退することを決めました」。数日前の10月6日のスポーツ新聞に「ロッテはG・G佐藤らに戦力外通告」と出ていたし、9月に電話で話したときに「球団の決定に従うだけ」と言っていたから驚きはしなかったが、さみしさとともに「あのどん底からはい上がって選手生活を続けた」との思いがわき「ご苦労さんでした」と声をかけた。

「どん底」とは2008年の北京五輪での失敗であり、「はい上がった」とは翌09年シーズンに選手として最高の数字を残し年俸1億円選手になったことである。

当コラムで何度かG・G佐藤を取り上げたのは、プロ野球選手になりたい一心で挑戦を続け「夢を実現させた一人の若者」として紹介したかったからである。

▽挑戦の連続

G・G佐藤と知り合ったのは02年、共同通信の企画取材だった。G・G佐藤は桐蔭学園―法大卒業後、メジャー、フィリーズの1Aチームでプレーしていた。

日本のプロ野球を経験しない選手が米国プロ野球に挑戦する若者ということで記事にした。

米国での3年間で2A、3Aにステップアップできずに帰国した本人がプロ野球への夢を捨てきれないでいることを知り、03年秋のドラフト直前に西武の入団テストを受けられる口添えをした。結果はドラフト7巡目指名で入団を果たした。

西武では出場数が増えるとともに、外国人選手並みのごつい体と明るいキャラクターもあって人気者となった。

08年のオールスター戦ファン投票ではセ、パを通じて最多得票で選出された。人気絶頂期で迎えた北京五輪の準決勝、3位決定戦で致命的なエラーをやり、傷心の帰国となった。

右翼手として1年間無失策のシーズンもあったほどで、肩も強かった。へたな外野手ではない。しかし、器用ともいえないG・G佐藤にとって、五輪の大舞台で左翼を守らされたのは不運としかいえない。ただ、そんな言い訳を彼から聞いたことはない。全てを自分の胸にしまい込んでいるのである。

▽「妄想のすすめ」刊行

09年シーズンは、あるいはラストチャンスだったかもしれない。残した結果は136試合に出場し、146安打の打率2割9分1厘、25本塁打83打点とプロ6年目で最高の成績だった。オフには1億円プレーヤーとなった。

この復活へのバネはすごいことだと思うが、世界的舞台での大失敗をファンは帳消しにはしてくれず、必死に戦っていたと思う。

日本プロ野球で残した数字は587試合に出場、507安打、88本塁打、270打点。ロッテ2年目の今季は1軍出場はなかったが、熱烈なGGファンに見送られてプロ生活の幕を閉じられたのは本当によかったと思う。

G・G佐藤は今年7月に「妄想のすすめ」(ミライカナイブックス刊)という本を出した。

プロ野球選手になりたい、満員の球場でプレーする自分の姿を思い浮かべながら野球に取り組んできて、周囲から「何を妄想している」と冷たい目で見られながら、その夢を実現した。「僕は妄想をエネルギー源にして自分を奮い立たせ、夢をかなえた」と書いている。

ただ、この本はただの成功物語ではない。北京五輪での失敗など、米国、日本、イタリアのプロ野球で3度の戦力外通告、つまりクビになったことなどを赤裸々に告白していて、なおかつ若い人に「妄想すること」を勧めている。

プレッシャーを克服する方法の一つは「自分の弱さや欠点を認めること」だと言われる。開き直るのではなく冷静に自分を見詰めることで、対処法が見つかるものだ。そうした経験談を若者に伝えようとしている。

長女に続いて今年、長男を授かったG・G佐藤はまだ36歳だ。

北京五輪での失敗に「死にたい」とまで思った男が「野球とは、ずっと好きなままでお別れしたいと思っていて、それがかなえられ幸せだった」と言っている。これからの長い第二の人生において、大きな力となるだろう。

今年もドラフト会議が10月23日に行われる。夢を抱いた多くの若者が入団してくる。

田坂貢二[たさか・こうじ]のプロフィル

1945年広島県生まれ。共同通信では東京、大阪を中心に長年プロ野球を取材。編集委員、広島支局長を務める。現在は大学野球を取材。ノンフィクション「球界地図を変えた男 根本陸夫」(共著)等を執筆