日本の企業社会にかつてあった「終身雇用」という考え方は、時流の変化によってかなり薄れてきた。国内のスポーツ界も同様だが、サッカーチームの監督ほど環境が激変した職業はないだろう。日本リーグ時代は、ほとんどの監督がアマチュアだったので指揮権を途中で剥奪されることはまずなかった。ところが、1993年のJリーグ発足に伴い一変する。プロとなった監督は、結果が出せないと当然のように更迭されるようになった。

成績不振の指揮官をクビにする。それはクラブ側にとっても大きなリスクだ。監督が自ら職を辞してくれればいいが、クラブが解任した場合は、契約期間の年俸は基本的に支払わなければならない。さらに新監督への給料も必要だ。経営基盤の弱いクラブだと、経済的にかなり苦しい状況に追い込まれる場合もある。だから、新監督はクラブ内にいる人材の昇格というのがどうしても多くなる。

7月30日、清水エスパルスのゴトビ監督の解任が発表された。その時点で12位も、J2降格圏の16位とはわずか勝ち点差3。直前の同27日に行われた第17節、柏レイソル戦こそ3―0と快勝したが、第16節までは7戦勝ちなし。その間、5敗していることを考えれば、Jリーグ創設以降、常にトップディビジョンで戦ってきたクラブ側が早目に手を打ったということだろう。

近年のJ1は、まさかということが平気で起こる。昨年のジュビロ磐田、2年前のガンバ大阪、4年前のFC東京。戦力的には落ちるはずはないと思われたチームが、あっけなく降格している。サポーターのなかには納得できない人もいるだろうが、降格した場合に受ける経営面のマイナスを考えれば、経営が決して盤石とはいえない清水というクラブの考えを尊重しなければならないだろう。

監督解任を受けて就任する新監督は、非常に厳しい状況でチームを受け継ぐことになる。この困難な仕事を引き受けたのが、ユースチームを率いていた大榎克己監督だ。清水東高時代、現ガンバ大阪の長谷川健太監督、元日本代表の堀池巧氏とともに「三羽ガラス」として82年度の高校選手権を制した、オールドファンには懐かしいスター選手だ。

国際Aマッチ出場は5試合と多くない。だが、早大卒業後に入社したヤマハ発動機(現磐田)を辞めて、92年のナビスコカップ前にまだチームの実態がはっきりしていなかった清水にいち早く加入した。その意味で、クラブを一番熟知している存在だろう。

初陣となった2日のFC東京戦は、選手の個人的なミスも絡んで前半で3失点。終わってみれば0―4という大敗に終わった。

「3日間の練習では守備やラインのそろえ方など最低限の約束事をやってきた。自分がやりたいことを選手に伝え過ぎると彼らを混乱させることになるので、いままでと同じ流れ、同じメンバーで試合に入った」

チームに変化を与えるには、あまりにも時間がない中で、大榎監督はゴトビ前監督が率い、勝利を収めた柏戦をベースに臨んだ。しかし、結果は得られなかった。

ただ、そんな状況で確実に変化が起きたとしたら選手の意識だ。高木俊幸は「結果を出すのは自分たち。選手たちが責任を感じなければならない」と語り、杉山浩太も「早く新チームで勝ちたい」と力を込めた。

どんな名監督をトップに据えても、ピッチ上でサッカーを表現するのは結局のところ選手だ。短期間で戦術や技術を大きく進化させるのは難しい。変えられるとしたら、それは選手の意識だ。クラブ側はエスパルスの生き字引ともいえる大榎監督を担ぎ出すことで、沈みがちになっていた選手たちの気持ちを奮い立たせようとしたのだろう。

クラブ愛に満ちた人物を監督に迎えただけで、物事が好転するほど簡単ではもちろんない。その一方、クラブ愛があるからこそ、困難な状況を打破しようという意思をより強く選手に伝えられるということも事実だろう。

Jリーグ発足時、清水は唯一企業母体を持たない市民クラブとしてスタートを切った。そのクラブを支え続けたのは、自らの手で歴史を築き上げようとした関係者の地道な努力と自クラブに対する忠誠心だ。

「愛情」なんて、くすぐったい。そう思う人もいるだろう。ただ、欧州の歴史あるクラブの多くはサポーターも含めた人々の愛情に支えられてきた。ドライな関係がもてはやされるご時世、そんなクラブが日本にあってもいい。それがゼロからJリーグに参加し、戦ってきた清水というクラブであって欲しい。

岩崎龍一[いわさき・りゅういち]のプロフィル

サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材はブラジル大会で6大会連続となる。