カメラマンが撮影したゴールシーンの背景に、人が写っていない。日本サッカーの歴史本を作っていると、度々そのような写真に出くわす。それは日本代表の記録集においても珍しいことではない。

1970年代から80年代のサッカー観戦。その中心地はメーンスタンドだった。だから昔のゴール前の写真に観客が写ることは少なかった。それがJリーグの発足とともに、中心地はゴール裏に変わっていった。

各チームのサポーターが20年余をかけて、ゴール裏で育んでいった文化。クラブの歴史とは、それも含めてのものだと思う。そして、サポーターの醸し出す音色は、たとえればミュージカルにおける音楽であり、それなしには一つのすばらしい舞台劇は完成しないのだ。

3月23日の埼玉スタジアム。人生で2度目の無観客試合を取材させてもらった。

1度目はジーコ・ジャパンのときの北朝鮮戦。2005年6月にタイのバンコクで行われたワールドカップ・アジア最終予選だった。あのときはスタジアムの規模も小さく、スタンドには「無観客」といいながら北朝鮮の軍服を着た人たちや、大使館関係者と思われる「非観客」がかなりいた。さらにスタジアムの外に駆けつけた日本のサポーターの声援がピッチまで聞こえたこともあり、無観客をそれほど強く印象づけられるものではなかった。

しかし、6万強の人間を収容する埼玉スタジアムでの無観客試合は、記者席が5階からピッチを見下ろす位置にあることもあり、ただただ無機質な巨大建造物の放つ空虚感しか伝わってこなかった。スタジアムはどんなに立派でも、それだけでは物語としてのサッカーの試合は成り立たない。選手がいて、それを応援するサポーターや観客がいるからこそ、サッカーはスコアの結果だけではない感動として伝わってくるものだとあらためて思い知らされた。

1―1の試合後、浦和レッズ、清水エスパルスの多くの選手が同じ感想を漏らしていた。

「僕たちはサポーターの後押しによってサッカーをやっていたのだと気づいた」

無観客試合の発端となった、3月8日の埼玉スタジアム北ゴール裏のゲートに張り出された「JAPANESE ONLY」の横断幕について、浦和のクラブ側からは、誰に向けられたものか、どのような意味があるのかという詳しい説明は、結果的に出てこなかった。クラブ側から出されたのは1枚のプレスリリース。そこには「差別撲滅宣言」と記されていた。

これにより浦和は「差別」があったことを認める形となった。しかし、当初の発表の通り一部のサポーターが「ゴール裏に外国人が来てほしくない」と理由だけで膨大な金銭的損失をともなう制裁を無条件で受け入れたのだろうか。もっと重大な差別行為があったからこそ、無観客試合でも致し方なしと判断したと考えるのが自然なのではないだろうか。

すべてを明らかにするというのが、必ずしもいいとは思わない。あやふやな部分を含ませるというのが、古くからの日本の文化だ。それでうまく収まることもある。ただ、この手の問題に関しては真意を明確にし、再発を抑止するのも必要なのでないだろうか。

昨年7月にソウルで行われた東アジアカップ。日韓戦のときに旭日旗を掲げた男性のときも「旗の意味がよく分かっていなかった」という男性の言い分をそのまま受け入れる報道が目立った。本当にそうなのだろうか。僕には凶悪事件を起こして「殺すつもりはなかった」と言い逃れをするのと同じように聞こえた。

メッセージとは、送る側の意図よりも受け取る側の感じ方が大きい。もし一般人も普通に拳銃を持っている国に行って相手に中指を立てたら、間違いなく撃たれるだろう。そのときに「こちらの意図はそうではなかった」といっても、もう遅い。

周囲を海で囲まれる日本は、人の行き来も少なかったことから異なるものを受け入れることに慣れていない。結果的に差別に対して僕も含めて鈍感なのだと思う。その鈍さに対して、浦和、清水の両監督が素晴らしい言葉を贈ってくれた。

「私は37年間外国で生活し、生まれ育ったユーゴスラビアはもう存在しない。差別は受けたが、リスペクトと愛で打ち勝ってきた。どこの国から来ようと、良い人も悪い人もいる。その国から来たというだけで差別するのは大きな間違いだ」(浦和・ペトロビッチ監督)

「人がいないと、スタジアムから魂が抜けているように感じました。サッカーから人種差別をなくしていかなければならない。人と人の違いがあるから、世界は美しいのです」(清水・ゴトビ監督)

旧ユーゴスラビアが内戦で分裂したペトロビッチ監督。イラン系米国人のゴトビ監督。両人が経験してきたこと。発せられる言葉は、われわれ日本人が思う以上に重みがある。

もう無観客試合はいらない。大多数の善良なサポーターは、そう思っているはずだ。この偉大な脇役であるゲームの演出者たちに、もう一度素晴らしいスタジアムの雰囲気をつくり出してもらいたい。

岩崎 龍一[いわさき・りゅういち]のプロフィル

サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。5大会連続でワールドカップの取材を行っている