プロ野球楽天の田中将大投手が、大リーグのヤンキースと結んだ契約条件は「7年で年俸総額161億円」。日本では考えられない数字にまず度肝を抜かれた。これとは別に楽天球団には約20億円が支払われる。

日米球界で結ばれた「新ポスティング制度」は、米球団が日本の球団に支払う移籍料は20億円に制限され複数球団が入札に参加できたことで、FA選手並みの争奪戦が展開され、田中はいきなり最大23億円の年俸を手に入れることになったのだ。

ヤンキースはかつて、松井秀喜選手が所属し、現在もイチローや黒田博樹がいる。多くのスター選手を抱える金持ち球団として知られているが、今回の高額での田中獲得は米国内でも驚きを持って伝えられた。

理由の一つは2006年に阪神から獲得した井川慶の失敗例があったからだ。井川は予想に反して2年間で2勝4敗の成績しか挙げられなかった。また、別の球団とはいえ、レッドソックスが総額100億円をかけて獲得した松坂大輔も期待通りの活躍ではなかったからだ。

ヤンキースが「田中は日本でプロ入り以来、調査し続けてきたから大丈夫」と言っても、昨年春のWBC大会での不調もあり、この1球も投げていない投手にこれだけの大金を出すにはそれなりの理由があるはずだ。そこに「必死になっているヤンキース」の姿が浮かび上がってくる。

▽R・ジョンソンの再来を期待

昨シーズンのヤンキースは、ア・リーグ東地区の3位でプレーオフにも出場できなかった。その戦力補強が第一の目的であることは間違いないだろう。ダルビッシュ有の実績を見れば日本で24勝、負けなしの田中の実力は高く評価していたはずだ。

成績の向上と深くかかわるのが人気面でのてこ入れだと思う。実は、こちらの理由の方が大きなウエートを占めているような気がしてならない。

人気球団のヤンキースだが、昨年の観客動員数は約327万人(主催81試合)で前年の約354万人から落ち込んだ。成績不振にもかかわらず、メジャーの中では圧倒的に多いファン動員なのだが、問題は2008年の約420万人から下降し続けていることだ。

ヤンキースが初めて400万人台に乗せた2005年はランディ・ジョンソンを獲得したシーズンだった。この個性的なメジャー屈指の左腕は、戦力面はもちろん観客動員にも大きく貢献したのである。

ヤンキースタジアムにある「VIPシート」は全座席の10%しかないが、売り上げの実に60%を稼ぐという。強くなければ特別席の価値は下がることになる。

さらにヤンキースのローカルスポーツ専門チャンネルYESの契約件数の回復も図らなければならない。ターゲットは在留邦人や日本からの観戦ツアー客かもしれない。

▽先駆者が野球殿堂入り

田中の米国野球挑戦を見ながら思い出すのは野茂英雄元投手のことである。日本人選手のメジャー行きの先駆者だった野茂氏が1月、日本の野球殿堂入りを果たした。45歳4カ月での栄誉は史上最年少で、殿堂入りの有資格者となって1年目での栄誉は王貞治氏らに次いで3人目でもあった。野茂氏は「私は(日本の)新聞記者と仲良くなかったから(記者投票による)殿堂入りは難しいと思っていた」と苦笑いしたものだ。

「仲良くなかった」とは、1995年のドジャース入りの際に球界や新聞記者らから総スカンを食い、バッシングの嵐にさらされたことを指す。

近鉄での5年間で78勝を挙げた野茂氏が6年目の契約更改交渉がもつれたことをきっかけにして、夢として持ち続けたメジャー行きを決断した。球団や世間は「野茂のわがまま」だとして認めず、野茂氏は任意引退選手のまま海を渡った。

それからは、せきを切ったように伊良部秀輝元投手(元ヤンキース、故人)をはじめ次々とメジャー入りする選手が後に続いた。あれから20年、野茂氏の功績を日本球界が殿堂入りという形でやっと認めたのである。

▽「松井さんのようになりたい」

野茂氏は殿堂入りの記者会見を自らが設立したNOMOベースボールクラブの本拠地、兵庫県豊岡市で開いた。今年は米国での野球殿堂入り候補にもなった。例によって淡々とした口調で「殿堂入りはうれしい」と感想を述べた後「統一契約書の見直し」に言及することもあった。

統一契約書のどこを問題にしているのか、具体的な話は伝わっていないが、球団が持つ選手保有権について「もっと緩やかにしてもらいたい」といったことと想像できる。自ら血を流して渡米した開拓者としての経験が、そう言わせたのかもしれない。

日本のプロ野球選手は、FAなど多くの権利は闘って得たものはなく、与えられたものばかりである。田中ら若い選手にはそうした歴史をぜひ知っておいてもらいたい。

田中は1月に千葉県のある大学でシンポジウムに出席して「理想は松井(秀喜)さんのように、どんなときでもマスコミやファンに向けてしゃべるという姿勢を見習いたい」などと話した。そして「日本の野球とアメリカの野球はまったく違うと聞いている。そうした環境にどう適応するかが成功の鍵だと思う」と自分の考えを披露している。

性格もよく、しっかりしている。「マー君」と誰からも愛される人柄は好感が持てる。しかし、厳しいメジャーでは「自分の本音」を発散しないと持たないかもしれないし、しゃべりたくないときもあるだろう。あまり松井氏を意識しない方がいいと思うのだが、どうだろうか。

田坂貢二[たさか・こうじ]のプロフィル

1945年広島県生まれ。共同通信では東京、大阪を中心に長年プロ野球を取材。編集委員、広島支局長を務める。現在は大学野球を取材。ノンフィクション「球界地図を変えた男 根本陸夫」(共著)等を執筆