「目を疑うような」という表現を使ったことはあるが、実際にわが目を疑ったのは初めてだったかも知れない。サッカーの取材を終えて午後5時ごろスタジアムを出ると、外はまだ明るい。だが、太陽の姿が見当たらない。西の空を探すと、白いもやの向こうで輪郭を失った夕日がわずかに光を放っていた…。

10月前半、中国の天津で行われた東アジア大会を取材した。甘栗で有名な天津は北京から南西100キロ強の沿岸部にあり、既にコートが必要なほどの寒さだった。競技会場などの施設は非常に立派で驚かされた一方、かつて小児ぜんそくを患っていた私は深刻な大気汚染に悩まされた。晴天でも霧が立ちこめたように空気は白く濁り、約2週間の大会期間中はほとんど青空を見ることができなかった。

PM2・5だけでなく砂状のものも舞っているのか、屋外での取材後はノートが少しザラザラした。実際にプレーする選手にとってはさらに重大事だ。激しく走り回るサッカーやホッケーのメンバーからは「気管がやられた」とか「試合中に『ウッ』ときた」といった声が上がった。印象的だったのは野球の山川穂高選手の言葉。沖縄県出身で、岩手県の富士大に通う、分厚い体の長距離砲は「沖縄も岩手も空気がきれいなので、びっくりしました」と困惑した表情で空を見やった。

街ではバイクや自転車に乗りながらマスクをする人はいるものの、通行人は平然と無防備で歩いていた。毎日欠かさずマスクを着用した私の姿は目立ったようで、何人かの中国人から「そんなに気になる?」と声を掛けられた。結局ぜんそくは発症しなかったが、乾燥していたこともあってのどはガラガラになった。

汚染された空気は風に乗って日本にも押し寄せるため、対岸の火事では済まされない。あるとき、メーンプレスセンターに居合わせた地元ラジオ局からインタビューを受けたので、ここぞとばかりに「大気汚染を改善してほしい。日本の選手たちも息苦しいと話していた」とまくし立てた。しかしその部分はオンエアであえなくカット。別の中国人記者は「北京五輪が終わった後からずっとこんな感じだから慣れちゃった。中国人同士で大気汚染を話題にすることはほとんどない」と関心の低さを教えてくれた。

中国語が全く分からない私は、現地の方々の温かさに何度も助けられた。ホテル近くの食堂で適当にオーダーした後、「ミーハン?!ミーハン?!」と聞かれて当惑していると、店の主人がしゃもじにホカホカの白米を乗せ「これのことだよ」といった笑顔で登場。試合会場に着けば、ボランティアの女子大学生が「Do you have a Coke??」と言いながらコーラやミカンをどっさりくれた。

今回は残念ながら街を観光する余裕がなかったが、天津は租界時代の洋館が建ち並ぶエリアなど見どころが数多くあるという。名物の肉まんも食べられなかったので、機会があればゆっくりと訪れてみたい。今度はマスクなしで―。

石井大輔(いしい・だいすけ)1983年生まれ。東京都出身。06年共同通信社入社。運動記者として名古屋支社、仙台支社(プロ野球楽天担当)を経て11年12月から本社でサッカーなどを担当。慶大時代はボート部に所属した。