ボール扱いは一昔前に比べたら、目を見張るほどうまくなった。攻撃のアイデアも豊富になった。そしてアジア・レベルでは守備もまあまあ。

個々のパーツを見れば、そこそこにレベルが高いのに、90分のゲームという一つの完成品を見てみると、なぜかバランスが悪い。日本のサッカーを見ていると、時々そう感じることがある。

本来は出来上がる製品予想図から逆算してパーツをこしらえればいいのに、パーツそのものの開発に凝り過ぎて、製品に収まり切らない。良い内容のゲームを展開しても、90分後に勝利を収めていないという試合がよくある。

サッカーの目的は何か。それは勝つことだ。相手の得点を抑え、相手より1点でも多くのゴールを挙げることだ。その意味で他のサッカー先進国に比べれば、日本は相対的に試合の着地点を見いだすゲーム展望力が拙い気がする。勝つためのゲーム運びが下手なのだ。それは日本代表、Jクラブともに、少なからず共通している。

8月17日のJ1第21節。大分トリニータのサポーターは、5月18日の第12節のアルビレックス新潟戦以来、約3カ月ぶりの勝利を信じて疑わなかっただろう。前半20分までは。ナビスコカップの対サガン鳥栖戦以来、今季最多の3得点。しかも、新加入の梶山陽平、若狭大志、そして特別指定選手の大学生、松田力が8分間で立て続けに得点。奪ったゴールが、そのまま浦和レッズに対してのアドバンテージになったからだった。

満塁ホームランがある野球とは違って、3―0のリードからの逆転負けなんて、1点、1点を積み重ねるサッカーではよくあることではない。もしあったとしたら、それは大ニュースだ。そして試合は結果的に、浦和側にとっての奇跡的大逆転勝利のニュースになった。

前半24分に興梠慎三に1-3とされたゴールは、まだ仕方がない。問題は後半の入りだった。リードはまだ2点。冷静に試合を運んで、守りを重視しながらもカウンターで浦和に脅威を与える。そのなかで時計を進めるという手法もあっただろう。ところが、そこが勝つことに慣れていないチームの悲しさ。はやる気持ちは不必要なファウルとなり、自らの首を絞めることになった。

後半立ち上がりの47分、阪田章裕が与えたFKをマルシオ・リシャルデスに直接決められて1点差。56分の土岐田洸平のハンドは不運だったが、このPKを阿部勇樹に確実に決められて同点。この時点で大分に巻き返すパワーはもう残っていなかった。

3点のリードを勝ち点に結びつけられなかった大分と、大逆転を成し遂げた浦和の差。それは変化が加えられた相手選手の配置に対する選手の順能力の差だろう。

後半、浦和は原口元気に代わったマルシオ・リシャルデスが、原口より引き気味のポジションをとったために、プレッシャーを受けずに2列目からタイミング良く飛び出した。

対する3バックの大分は、前半まで浦和の3トップ興梠、原口、柏木陽介に効果的なプレッシャーをかけていたシステムが機能しなくなり、一方的にボールを支配された。そしてサイドが空くという3バックの弱点を突かれ、84分には右のスペースに攻め上がった森脇良太のサイド攻撃から那須大亮に決勝点を許した。

「(浦和の)パスの出し手にプレッシャーをかけることができずに、最終ラインも上げることができなかった」

圧倒的に攻め込まれて逆転を許した後半をゲームキャプテンの阪田は振り返った。

それは事実だろう。ただ、選手の判断で動くことはできなかったのだろうか。監督は試合の大きな流れを方向づける役割を担うが、細かな局面での判断は、選手自身が下さなければならない。そして、考える自由を与えられるからこそサッカーは楽しいのであり、同時に責任も生じるのだ。

大量リードからの、まさかの敗戦。田坂和昭監督は「3点をリードすれば勝つことは多いが、引っ繰り返されるのもサッカー」と語っていたが、心中穏やかではないだろう。その状況でも気丈に「我々は日々成長していって、課題を克服しなければいけない」という、このところの定番の言葉を繰り返した。

確かに大分の戦力は他チームに比べると見劣りするのは事実だ。昨年のJ2では6位。プレーオフを勝ち抜いてJ1に昇格したとはいえ、苦戦は当初から予想された。しかし、3点をリードした状況からの逆転負けというのは、選手の技量の問題ではなく意識の持ち方のほうが大きな比重を占めるのではないだろうか。

選手の判断で相手の戦術の変化に対応し、リードを守り切る。ブラジルで言う「マリーシア」だ。90分間を逆算して、勝利という結果にチームを着地させる「ずる賢さ」の文化を身につけていくことが大分も含めたJリーグの下位チームにも不可欠だ。

ひいてはそのゲーム運びの悪賢さは、日本の強さにつながっていく。大量失点の続く日本代表を見ていると、なおさらその思いが強くなる。

岩崎 龍一[いわさき・りゅういち]のプロフィル

サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。5大会連続でワールドカップの取材を行っている