日本の夏の夜といったら怪談である。そして、お化けは、直前まで周囲にその気配を感じさせずに突然に現れるから、人々は大いに驚くのだ。

8月11日の夜、Jリーグにもそんな怪談のような話が突如として持ち上がった。大宮アルディージャのズデンコ・ベルデニック監督の電撃的な解任。優勝争いをしている監督がシーズン途中で解任されるなど、Jリーグでは聞いたことのない話だ。

この一報を受け、大宮のサポーターはひっくり返りそうな衝撃を受けただろうし、全国のサッカーファンもびっくりしたことは想像に難くない。そういう僕も「訳がまったく分からない」と熱狂的な大宮サポーターの友人にメールをした口だ。

2005年にJ1に昇格して以来大宮は、上位争いをにぎわせる存在ではなかった。というよりも常にJ1残留争いに巻き込まれては、尋常ならぬ粘りでJ2降格を回避してきたチームだ。時代劇の配役に例えれば、大部屋俳優の類。主役の剣豪に切り捨てられて絶命しても、翌週の新しいストーリーでは再び脇役として登場してくるという感じの、しぶとさを持った役回りだった。ところが昨シーズン途中から大宮は着実に“演技力"を磨き、主役の座を狙えるまでになっていた。それに周囲が気付いたのは今シーズンだった。

昨年6月のシーズン途中でのベルデニック監督の登用。過去7シーズンで最高順位が12位だったチームは、シーズンをまたいで21戦負けなしというJ1記録を更新した。地味なイメージが強かった大宮だが、今シーズンは第8節でチーム史上初の首位に立ち、それは16節まで続いた。この快進撃を可能にしたのは、疑いなくベルデニック監督の手腕に負うところが大きいだろう。

ところが、順風満帆に見えたオレンジが下降線をたどり始める。コンフェデレーションズカップ明けの7月に入った第16節から5連敗。それまでチームに絶大な影響力を及ぼしていたスロベニア代表の2トップ、ズラタン、ノバコビッチの相次ぐ故障離脱。猛暑という過酷な環境下での連戦は、他の上位クラブに比べれば決して選手層の厚くない大宮にとっては、大きな痛手だった。それでも首位サンフレッチェ広島に勝ち点6差の4位。まだ14試合を残しての結果は、絶望的というわけでもない。そんな状況下での突然の監督更迭報道だった。

大宮の公式ホームページ上で発表された鈴木茂社長のコメントには次のような下りがあった。

「チームとして今シーズンの目標を達成するため、監督交代を決断しました」

無敗記録を続ける序盤から鈴木社長は「今季の目標は勝ち点53」と公言してきた。セレッソ大阪に0-3で敗れた第20節の時点で、大宮が獲得した勝ち点は36。残り14試合で勝ち点17を得ることは、可能かもしれない。うがった見方をすれば当初は監督の体調不良、他クラブからの引き抜き、コンプライアンス的なトラブルくらいしか考えられなかった。

大宮のクラブ事情に詳しくないので、まったく知らなかったが、監督とスタッフ、監督と選手の間に、指導法などについて意見の隔たりがあったらしい。簡単にいえば、信頼関係がうまくいっていなかったのだ。

見方をかえればいろいろな意見が生まれるだろう。少なくとも一定の成果を挙げている指揮官に対して、やり方に不満があるからといって選手が反旗を翻してもいいものか。給料をもらっているプロである以上、監督のやり方に従わなければならないのではないか。もしベルデニックではなく、モウリーニョが監督だったら、選手たちは同じ行動を起こしたのか。

また、フロントについても、選手側に味方して監督を更迭する方向に進んでいいものだろうか。それがあしき慣習になってしまわないのか。今後、監督を引き受ける外国人が出てくるのか。疑問がつきまとってくる。

一方で、集団で物事を行うときは、人間関係がうまく構築されていなければいけないというのも真実だろう。

ベルデニック監督解任という夏の夜の怪奇は、ある意味、とても日本的な事象なのかもしれない。「チームワーク」という言葉を考えてみよう。日本人はこの言葉に「みんなが仲良く」というイメージを強く抱くはずだ。一方で外国人は文字通り「チーム」にいる人間がそれぞれの役割を「ワーク」する。結果を追求することが第1目的で、仲の良さはそれほど関係してこない。この辺りに要因があったのかもしれない。

大宮というクラブが苦渋の末に下した決断。それをわれわれは尊重しなければいけないだろう。ただ忘れてはならないのは、ベルデニック監督が基礎を築いてくれた今シーズンのチームに、多くのオレンジ色のサポーターは、これまでにない大きな期待を抱いていたということだ。その期待に報い、「あの判断は正しかったんだ」と周囲を納得させられるだけの結果が求められていることを、選手、新指導陣、そしてフロントは決して忘れてはならない。

岩崎 龍一[いわさき・りゅういち]のプロフィル

サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。5大会連続でワールドカップの取材を行っている