今、話題のヤクルトの新人、小川泰弘投手を初めて見たのは昨年6月の全日本大学野球選手権だった。東京新大学リーグ、創価大のエースとして神宮球場に登場して大いに注目されたのは、その投球フォームだった。踏み出す方の左足の膝を思い切り胸の高さまで上げる投げ方が、メジャー屈指の好投手、ノーラン・ライアンとそっくりだったからだ。

▽ライアンを真似して球威増す

それもそのはず、小川投手は「ライアンを真似して投げている」と記者会見で明かし、この投げ方に変えてから球威が増した、とも話した。なるほど、軸足にしっかりと体重を乗せることで「体にためがつくられ、できるだけ球を長く持っていられる」利点があると分かったが、一方で下半身にかかる負担は相当なものだと思った。実際、大学選手権では初戦に完封勝ちしたものの2戦目で敗退したときの印象は「試合後半では疲れからか、球威が落ちていた。相当、下半身を鍛えないと、あのフォームで投げるのはきついだろう」だった。

その小川投手はドラフト2位入団で、先発ローテーションの一角を任され3勝をマークしている。大学選手権ではクレバーな投手という印象はあったが、ここまでやるとは思わなかった。それだけに、こういう選手を獲得できたのはスカウト冥利(みょうり)に尽きるといったところだろう。

▽菅野に投げ勝つ

小川投手は4月27日の巨人戦で、3勝のドラフト1位の菅野智之投手(東海大)に投げ勝ち初黒星を付けた。171センチと小柄だが、鍛え上げた太ももの周囲は65センチもある。球速は140キロほどだから速球投手というわけではないが、マウンド度胸と負けん気の強さがある。けが人続出のヤクルトにとっては、願ってもない新戦力である。

菅野は初黒星を喫したとはいえ、期待通り、いや1年間の“浪人生活"によるブランクを考えれば、期待以上の活躍で首位を走るチームに貢献している。そして阪神の藤浪晋太郎投手(大阪桐蔭高)も大活躍している。高校出身ルーキーが4月に3勝を挙げるのはドラフト制度が導入された1966年以降では初めてというからすごい。パ・リーグでは楽天の則本昴大投手(ドラフト2位、三重中京大)が2勝2敗の成績で、即戦力として十分な働きだ。

▽どうした東浜

一方、昨年の大学ナンバーワン投手と言われた東浜巨投手(亜大―ソフトバンク)は2試合連続で6失点KOされ2軍行きとなった。巨人3年目の沢村拓一投手(中大)のような速球があるわけではなく、どちらかといえばロッテ2年目の藤岡貴裕投手(東洋大)のように投球術で勝負するタイプで、しかも大きな変化球が少ないのが心配だった。打者にタイミングを取られやすいからだ。もっとも、プロ選手としては先が長い。焦らずにやることだ。

▽心配な日本ハム・斎藤

そういう意味では、プロ3年目を迎えた日本ハムの斎藤佑樹投手は心配だ。1年目は6勝、昨年は開幕投手を務めるなど5勝を挙げたが、昨年終盤に右肩を痛め、今季は2軍暮らしが続いている。夏ごろの復帰を目指しているそうだ。斎藤投手は投球術が身上だけに、今のままで通じないなら渡米を勧めたい。新しいピッチングを開拓するには、マイナー・リーグを含めていろいろな投手がいる米国プロ野球で学ぶに限る。誰の助けも借りず、一人で試行錯誤すれば、道が開けるかもしれない。

西武などで活躍した工藤公康氏は大きなカーブに特長があったが、若いころスライダーを覚えたことでカーブが曲がらなくなった時期があった。30年以上前の話だが、工藤氏は西武球団から単独での米国行きを命じられ矯正して帰って来て活躍した。

▽中西2世も不発に

“金の卵"と期待されながらプロ入りしたが、活躍できない選手はこれまでにも数限りなくいた。もちろん、実力がないとだめなのだが、結局は順応できる能力が鍵だと思う。

先ほど、スカウト冥利と書いたが、そのヤクルトのスカウトもかつてこんな経験をしている。現在、ヤクルト2軍の杉村繁コーチは高知高時代「中西太二世」と言われたスラッガーで「東の原、西の杉村」と、1年下の東海大相模高の原辰徳選手(巨人監督)と人気を二分した。1975年のドラフト会議でヤクルトに1位指名され入団したとき、担当スカウトが「杉村がもし大成しなければ、どんな選手もプロで通じない」とまで言ってしまった。杉村氏の通算成績は12年間で147安打4本塁打だった。素質だけでは通用しない例として、私の記憶に深く残っている。

田坂貢二[たさか・こうじ]のプロフィル

1945年広島県生まれ。共同通信では東京、大阪を中心に長年プロ野球を取材。編集委員、広島支局長を務める。現在は大学野球を取材。