東京・後楽園ホールで1月12日から始まったボクシングの名品展示は、各方面で紹介され、未見のファンにとっては次回のホール来場の際の「予定」に入っていることと思われる。展示品のひとつ、1988年3月21日に日本の東京ドームで防衛戦を行ったマイク・タイソン(米国)の世界ヘビー級タイトルマッチのプログラムは、小野利明氏の迫力あるイラストとA3判の大きめの作りの相乗効果が、鉄腕タイソン全盛期の熱気に日本中が沸いた当時を思い浮かべさせずにはおかないはずだ。

ところで、表紙には掲載されていないこの日のアンダーカードが、実は日本ボクシング界の一時代を期せずして凝縮している事実からもこれは重要なのだ。頁をめくると、WBC世界スーパーライト級王座陥落後も世界3位を維持し、豪腕で人気の浜田剛史(帝拳)が待望の再起戦を比国同級4位の選手と行う予定になっていた。実際は、体調不良で試合1週間前にキャンセル、4月7日には体力的限界を理由に浜田は引退を表明する。

タイソンの爆発的強打に世界の目が東京に注目するこの絶好の機会に、日本の誇る強打者たちを世界に逆発信する壮大な計画から浜田が欠けたのは残念至極だったが、八戸帝拳ジム自慢の強打の在日米軍三沢基地所属の軍人コンビ、東洋スーパーウエルター級王者カーロス・エリオットと日本スーパーバンタム級王者マーク堀越は、揃って比国勢に勝利 。そしてこの日、日本ボクシング史上の強打者列伝に特筆すべき事件が起こったのだ。

当日のリングは、テネシー州立大学留学中にアマで全試合KO勝利、プロの世界王者をスパーでダウンさせたという評判で日本に逆上陸し、噂どおりの強打と天才肌のボクシングで颯爽と日本ウエルター級王座に君臨した坂本孝雄(新日本木村)のさらなる飛躍のためにも用意されたかに思えていたのだが・・・。不調の王者は、無名の8位挑戦者の積極果敢な攻勢に大番狂わせの4回KO敗。ドームの大観衆を驚かせたこの挑戦者の名は、吉野弘幸(ワタナベ→野口)。タイソンのドーム興行の日に突如として開眼したこの強打者は、以降、必殺の左フックをぶん回し、この日獲得の日本王座を防衛すること14回、8試合連続KO防衛もやってのけ、日本人世界王者不在の時期にとびきりの人気ボクサーへと成長するのだった。(草野克己)