11月の終わり、東京都港区にあるプロ野球ヤクルトの球団事務所に球界秘伝のファイルがやってきた。1990年代にヤクルトを3度の日本一に導いた野村克也元監督の考えをまとめた「野村ノート」。選手やチーム関係者は閲覧自由だが、事務所の外への持ち出しは原則禁止という、まさに門外不出の1冊だ。

今季担当したヤクルトはセ・リーグ3位に終わった。ここ数年は上位争いには絡むものの頂点に届かない。リーグ優勝からは2001年を最後に遠ざかる。優勝奪回のためのオフの目玉が、衣笠剛球団社長が発案した野村元監督を講師に招いた講習会だ。1年を締めくくる恒例の球団納会の前に、選手、監督、コーチやスタッフ全員が集まり、約2時間のミーティングでみっちりと名将の教えをたたき込まれた。

「中心なき組織は機能しない」「恥を持ってグラウンドに立て」―。ミーティングの内容は、社会人として、プロ野球選手として、選手の持つべき心構えが中心だったという。身だしなみも注意点の一つ。もみあげからあごまで伸びたひげがトレードマークの畠山和洋は「ひげをそりなさい」と名指しで注文を付けられた。今季の畠山は主軸を任されながら、打率2割6分6厘、13本塁打、55打点と全てで昨季の成績を下回った。野村元監督は「お前は中心選手だろう。畠山を見習いなさい、と言われるような選手にならないと」と自覚を説いた。人間的にも尊敬される選手が中心にいるチームは強い。「V9時代の巨人の王、長嶋はチームの模範生だった」とONを引き合いに出して理想を語った。

それから1週間あまり後、今季の年俸より1200万円ダウンで来季の契約を更改した畠山は「中心と呼ばれることはものすごく響いた。来年は中心選手となってチームを引っ張っていけたら」と巻き返しに燃えているようだった。ひげも、来年2月の春季キャンプまでにそってくると宣言した。

選手だけではない。小川淳司監督以下、現在のヤクルト首脳陣には現役時代に野村監督の下で黄金時代を経験した世代が多い。荒木大輔、伊藤智仁、池山隆寛、飯田哲也…。久々に恩師のミーティングを受けたコーチたちも、学ぶところが多かっただろう。講習会に野村元監督が持参したファイルは球団に貸し出され、2月のキャンプでは再び元監督を招いて具体的な技術論を語ってもらうことも決まった。

選手や監督に取材をしながら、チームは4番やエースだけでは成り立たないと説く「野村の教え」は、世の中一般に通じると気付いた。私は30歳。プロ野球で考えれば、既に引退した同い年の選手も少なくない。ひるがえって私は何番打者か。そういえば、この前は7番で3打数無安打だったな。いや、それは草野球の話。記者として、人としてどうあるべきか。名将の教えの一端に触れた帰り、電車に揺られながらそんな思いを巡らした。

小海雅史(こかい・まさし)1982年生まれ。東京出身。2005年共同通信社入社。福岡支社で大相撲やサッカー、プロ野球ソフトバンクなどを取材。11年から東京でプロ野球担当。